ラテン詩人の記述するキュベレー信仰

Valete! サクラです。

以前お話した古代の去勢宗教であるキュベレー信仰の続きです。ローマの詩人による記述を詳らかにします。

女神キュベレーとアッティスの去勢

ローマに移されたキュベレー信仰

プリュギアの地の女神キュベレー信仰は次のような経緯で古代ローマに持ち込まれることになりました。紀元前3世紀の終わり、第二次ポエニ戦争でカルタゴのハンニバルにイタリア半島を蹂躙されていたローマは、国難にあたり予言の書を参照し、この東方の女神を招きこの恩恵に与ることしたのです。ポエニキア人(あるいはフェニキア人)の統治するカルタゴに対するローマの警戒心はとても強く、仮にカルタゴの手にローマが下ったとしたら、私達の住む現代社会も全く違ったものになっていたかもしれません。以下ローマの歴史家リウィウスの記述を引用します。

civitatem eo tempore repens religio invaserat invento carmine in libris Sibyllinis propter crebrius eo anno de caelo lapidatum inspectis, quandoque hostis alienigena terrae Italiae bellum intulisset, eum pelli Italia vincique posse, si mater Idaea a Pessinunte Romam advecta foret. — Tite-Live, Histoire de Rome depuis sa fondation 29:10 —

この頃、宗教的な主題が突然ローマ市民を巻き込んだ。その年の間に異常な数の石の落下現象が起きたため、シビュラの書の精査が行われ「外国の敵がイタリアに戦争を仕掛けるたびにそれを追放し征服することができる、もし イデの母がペッシヌースからローマに運ばれるのであれば」と表明した詩が発見されたのだった。

ローマの建国者とされるアエネーアースは現在のトルコ西部にあったトロイの出身であることから、同じくトルコ中央部のプリュギアの女神に対して、ローマ市民は親和的な感情を持てたことでしょう。この女神とその神官であるアッティスについて紀元前1世紀の詩人カトゥッルス Catullus(カトゥルスとも)の詩が残されています。ローマに女神が奉じられてから200年近く経過しているわけですからこのキュベレー信仰はローマで十分根付いていたと言えるでしょう。

カトゥッルスによる信仰の解釈

カトゥッルスは一般にはラテン恋愛詩人として有名ですが、彼の残した詩集 Carminaにはそれ以外の主題のものも存在します。この詩集の第63歌はキュベレーに従うアッティスについて書かれたものです。第63歌は日本語訳された形跡がないため、この記事が最初の日本語訳かもしれません。英訳と仏訳を参照しながら訳しました。

内容についてざっと抑えておきます。以前紹介したパウサニアスの記述とはことなりアッティスはキュベレーの子供でも愛人でもなく、船にのり異国からキュベレーの土地にやってきた異国人で女神の忠実な従者とされています。アッティスは詩の中では、一部だけ男性形で受けられる箇所(キュベレーが獅子に命じる箇所)もあるのですが、全般には女性形で受けられていますので、ここでも「彼女」とします。

ディオニュソス的な狂乱の中でアッティスは自らの男性器を石で切り落とし去勢しキュベレーに帰依します。そして自分の従者たちもそれに追従させます。その後、狂気から一時逃れた彼女は自分のしてきたことを後悔し、また自分がかつて男性として暮らしていた故郷を懐かしみ、キュベレーへの信仰から離れようとします。しかしキュベレーの放った獅子により女神のもとに戻り、残りの人生を全うするという話です。

ここに登場する獅子はキュベレーの乗る二輪戦車を牽く動物とされています。この獅子は実在の野生動物というより、宗教の与える強い畏怖の象徴かもしれません。その観点に立つと、この詩全体がキュベレーに帰依し自らを去勢する信者の心理描写と言えるかもしれません。であれば、信者はアッティスの物語を自分の体験として重ね合わせ去勢し女神に帰依したのでしょう。

キュベレーの女従者は単数でGalla、複数でGallaeという女性名詞で呼ばれています。他のテキストでは単数Gallus、複数Galliと記述されているものもあり、こちらは男性名詞です。このようにキュベレーに帰依した者に対する認識は男性と女性の間でゆらぎがあります。

いくつか文中の気になる表現に解釈を入れておきます。

Veneris nimio odioは「ウェヌスに属する激しい嫌悪により」と「ウェヌスに対する激しい嫌悪により」の二通りの解釈ができますが、Les belles lettres版の仏語訳ではpar une haine sans mesure contre Vénusとあったので後者としました。ウェヌスは女性全般を象徴するので「自分が男性であること、異性愛的結合が自明であることを前提として結ばれることとなる女性全般に対して向けられる嫌悪」とここでも理解することが出来るでしょう。前回のパウサニアスの記述においてアッティスは結婚のまさにその場で去勢しました。「男性の処女性」を担保するにあたって去勢は非常に有効な手段なのです。

notha mulier「別腹の女」というアッティスに対する表現は、興味深いものがあります。形容詞 notha、原形で nothusは「偽造の」「疑似的な」「妾腹の」「非嫡出の」「純種でない」などの意味で、アッティスが去勢により後天的に女性となったことを意味しています。トランスジェンダーMtFにもカトゥッルスの考案した notha mulierという表現は十分流用できるでしょう。

アッティスとその女従者たちが sine Cerere「ケレースなしに」眠りにつきますが、この意味ははっきりしません。ケレースはローマの豊穣の女神でギリシアのデーメーテールに比定します。この豊穣の中には「婚姻による子孫繁栄」の意味も含まれ、この女神は結婚の象徴ともされています。このような類推から「(去勢したことによって)女性との結合を今後自分の意思に反してさせられるような心配がなくなったことによって」と解釈することができます。先程の「ウェヌスに対する激しい嫌悪」と同じ前提がここにも見られます。

アッティスは故郷 patriaに対して呼びかけますが、この単語は女性名詞で女神キュベレーと対立する概念として表現されます。つまり「自分を産み育んだ母なる故郷」と「性別を変更して自分が帰依する異国の女神」との対立です。トランスジェンダーが性移行で体験するような、二つの岸の間で揺れ動く心の機微を、詩人カトゥッルスはよく捉えています。

では以下にラテン語原文とサクラの日本語訳を交互に記載します。原詩はガリアンボスという韻律で作られています。一方、サクラの日本語訳は力及ばず、ただの散文です。あしからず。

カトゥッルス 詩集 第63歌

Super alta vectus Attis celeri rate maria
Phrygium ut nemus citato cupide pede tetigit
adiitque opaca silvis redimita loca deae,
stimulatus ibi furenti rabie, vagus animis
devolvit ili acuto sibi pondera silice.

波高い大海原を素早く走る船に運ばれアッティスは
プリュギアの森に焦り待ちきれぬ足取りでたどり着き
森に囲まれた女神の聖域へと向かうと、
そこで沸き起こる狂気に掻き立てられ、心はさまよい
自らの重荷を鋭く尖った石によって切断した。

itaque ut relicta sensit sibi membra sine viro,
etiam recente terrae sola sanguine maculans
niveis citata cepit manibus leve typanum,
typanum, tubam Cybelles, tua, mater, initia,
quatiensque terga tauri teneris cava digitis
canere haec suis adorta est tremebunda comitibus

そのようにして彼女の体が男性器以外残されているのを感じ取ったとき、
大地の土が鮮血により染まっていたとき
雪のような白い両手で急ぎ彼女は太鼓をそっと手にとった、
母であるキュベレーよ、あなたの太鼓とラッパを、入信の儀式の象徴を、
そして細い指々で張り子の去勢牛の背中を叩きながら
彼女は震えながら自分の従者たちに対して激しく歌い出した

“agite ite ad alta, Gallae, Cybeles nemora simul,
simul ite, Dindymenae dominae vaga pecora,
aliena quae petentes velut exsules loca
sectam meam exsecutae duce me mihi comites
rapidum salum tulistis truculentaque pelagi
et corpus evirastis Veneris nimio odio,
hilarate erae citatis erroribus animum.

「急いで行け、女従者たちよ、キュベレーの深い森へ連れ立って、
連れ立って行け、女主人ディンデュメナの迷える群れよ、
流浪民のごとく見知らぬ土地を求めて
私の導きにより私の秘跡を追う、私の従者たちよ
高い波と荒れた海に耐え
そして自分の体をウェヌスへの激しい嫌悪により去勢し、
女主人へと掻き立てられた狂気によりその心を晴れやかにせよ。

mora tarda mente cedat; simul ite, sequimini
Phrygiam ad domum Cybelles, Phrygia ad nemora deae,
ubi cymbalum sonat vox, ubi tympana reboant,
tibicen ubi canit Phryx curvo grave calamo,
ubi capita maenades vi iaciunt hederigerae,
ubi sacra sancta acutis ululatibus agitant,
ubi suevit illa divae volitare vaga cohors,
quo nos decet citatis celerare tripudiis.”

ためらいは心から立ち去れ;皆で連れ立て、ついてこい
プリュギアのキュベレーの住処へ、プリュギアの女神の森へ、
シンバルの音の鳴るところへ、タンバリンの響くところへ、
プリュギアの笛吹きが曲がった笛の舌を重く鳴らすところへ、
キヅタの冠を着けたマエナスたちが力強く頭を振るところへ、
彼女たちが鋭い金切り声を挙げながら聖なる儀式を行うところへ、
女神のあの放浪者の集団がひらひらと舞うところへ、
そこで我々は激しい踊りに否応無く駆り立てられるだろう。」

simul haec comitibus Attis cecinit notha mulier,
thiasus repente linguis trepidantibus ululat,
leve tympanum remugit, cava cymbala recrepant,
viridem citus adit Idam properante pede chorus.

この別腹の女であるアッティスが従者たちに向け歌を歌うや否や、
踊りの一団が震える舌で思わず吠える、
タンバリンが軽やかに低い音で答え、窪んだシンバルが鳴り響く、
踊りの輪は駆られながら緑のイダ山に素早い足取りで向かっていく。

furibunda simul anhelans vaga vadit animam agens
comitata tympano Attis per opaca nemora dux,
veluti iuvenca vitans onus indomita iugi:
rapidae ducem secuntur Gallae properipedem.

拠り所のない怒りに息を切らせつつ心を踊らせ歩く
タンバリンに付き添われ、暗い聖なる森を抜ける先導者アッティスが、
人馴れない若い雌牛のように重荷の軛に繋がれることを避けながら:
荒れ狂う女従者たちは俊足の先導者に付き従う。

itaque, ut domum Cybelles tetigere lassulae,
nimio e labore somnum capiunt sine Cerere.
piger his labante langore oculos sopor operit:
abit in quiete molli rabidus furor animi.

さて、彼女らが疲れ果ててキュベレーの住処にたどり着いたとき、
激しい活動から眠りに身を任せる、ケレースに対する心配なしに。
この気を失いそうな目眩による鈍い眠りが両目を覆う:
荒れ狂う狂気は彼女たちの心から去り柔らかな安息へと向かう。

sed ubi oris aurei Sol radiantibus oculis
lustravit aethera album, sola dura, mare ferum,
pepulitque noctis umbras vegetis sonipedibus,
ibi Somnus excitam Attin fugiens citus abiit:
trepidante eum recepit dea Pasithea sinu.

しかし太陽が黄金の顔から輝く目によって
白い天界を、硬い対地を、荒れ狂う海を浄化した、
そして夜の暗闇を追い払った、力強い音のする足取りによって、
そこで眠りはアッティスを起こし逃げるように立ち去った:
万物の女神パーシテアーはあえぐ胸にその眠りを受け取った。

ita de quiete molli rapida sine rabie
simul ipsa pectore Attis sua facta recoluit,
liquidaque mente vidit sine quis ubique foret,
animo aestuante rusum reditum ad vada tetulit.

このようにして柔らかな安息が引き裂かれ、狂気もなしに
同時にアッティス自身は自分の行いを胸に呼び起こした、
そして彼女ははっきりと見出した、自分の失ったものを、自分のいた場所を、
心はかき乱されながらも海岸へ戻っていった。

ibi maria vasta visens lacrimantibus oculis
patriam adlocuta maesta est ita voce miseriter:

そこで大海原を見ながら、目には涙を溢れさせ
彼女は打ちのめされ故郷に向かって悲しい声でこのように独白した:

“patria o mei creatrix, patria o mea genetrix,
ego quam miser relinquens, dominos ut erifugae
famuli solent, ad Idae tetuli nemora pedem,
ut apud nivem et ferarum gelida stabula forem
et earum omnia adirem furibunda latibula,
ubinam aut quibus locis te positam, patria, reor?
cupit ipsa pupula ad te sibi dirigere aciem,
rabie fera carens dum breve tempus animus est.

「故郷よ、私の女創造主よ、故郷よ、私の産みの親よ、
私はあなたを不幸にも置いてきた、まるで主人の元から逃げた
逃亡奴隷たちのするように、私はイダ山の森に足を踏み入れた、
まるで私が雪と猛獣の冷たい牙の元にいるがごとく
まるで私がその狂気に満ちた隠れ場所に入り込むがごとく、
どこに、どの場所にあなたがいると、故郷よ、私が求めるべきか?
私の瞳はあなたへその眼差しを向けようと欲している、
しばらくの間、私の心は御しがたい狂気から自由となる。

egone a mea remota haec ferar in nemora domo?
patria, bonis, amicis, genitoribus abero?
abero foro, palaestra, stadio, et gymnasiis?
miser a ! miser, querendum est etiam atque etiam, anime.

私は自分の家から離れこの森の中に移り住むべきか?
故郷から、財産から、友人から、両親から離れるべきか?
公共の広場から、格闘技場から、競争のトラックから、体育館から離れるべきか?
惨めな、惨めな魂よ、いつまでもいつまでも嘆くことだろう。

quod enim genus figurae est ego non quod obierim?
ego mulier, ego adulescens, ego ephebus, ego puer,
ego gymnasi fui flos, ego eram decus olei:
mihi ianuae frequentes, mihi limina tepida,
mihi floridis corollis redimita domus erat,
linquendum ubi esset orto mihi sole cubiculum.

実際これらのうち、どれが私に無関係だろうか?
女の私、青年の私、十代の若者の私、少年の私、
私は体育館の花だった、私は油を塗られた花形格闘家だった:
人がよく訪れていた私の扉、活気のあった敷居、
私の家は栄光の花冠で飾られていた、
私は太陽が昇ると自分の寝室を出たものだった。

ego nunc deum ministra et Cybeles famula ferar?
ego maenas, ego mei pars, ego vir sterilis ero?
ego viridis algida Idae nive amicta loca colam?
ego vitam agam sub altis Phrygiae columinibus,
ubi cerva silvicultrix, ubi aper nemorivagus?
iam iam dolet quod egi, iam iamque paenitet.”

私は今、神々の女従者として、キュベレーの端女として生きるのだろうか?
私はマエナスとして、私自身の一片として、性的不能な男として生きるのだろうか?
私は緑のイダ山の冷たい雪に囲まれた土地で生を営むのだろうか?
私はプリュギアの高い頂きのもとで生を全うするのだろうか、
森に住む雌鹿のいるところ、森をさまようイノシシのいるところで?
今このとき自分の今までの行いを嘆き、そして今このとき私はそれを悔やむ。」

roseis ut huic labellis sonitus citus abiit
geminas deorum ad aures nova nuntia referens,
ibi iuncta iuga resoluens Cybele leonibus
laevumque pecoris hostem stimulans ita loquitur.

彼女のバラ色の唇からその訴えが放たれると
その予想外の知らせは神々の両耳に伝わる、
その時、キュベレーは獅子に繋がれていた軛を外し
左手にいる羊の群れの敵を突き棒で刺激しこのように話した。

“Agedum,” inquit, “age ferox i, fac ut hunc furor agitet,
fac uti furoris ictu reditum in nemora ferat,
mea libere nimis qui fugere imperia cupit.
age caede terga cauda, tua verbera patere,
fac cuncta mugienti fremitu loca retonent,
rutilam ferox torosa cervice quate iubam.”

「行け」と彼女は言った「獰猛なものよ、行ってこの者を狂気が駆り立てるようにせよ、
狂気の一差しによって彼を森へ戻させるようにせよ、
向こう見ずにも私の支配から逃れようと欲するものを。
行け、その尻尾で脇を打て、その鞭を耐え忍べ、
大きな唸り声をすべての場所へ轟かせよ、
激しく力強い首にある赤いたてがみを震わせよ。」

ait haec minax Cybelle religatque iuga manu.
ferus ipse sese adhortans rabidum incitat animo,
vadit, fremit, refringit virgulta pede vago.

このようにキュベレーは命じ、軛を手で締め上げる。
猛獣自身は興奮し心に獰猛さを呼び起こす、
それは駆け、唸り、無思慮な足使いで茂みをかき分ける。

at ubi umida albicantis loca litoris adiit
tenerumque vidit Attin prope marmora pelagi,
facit impetum: ille demens fugit in nemora fera:
ibi semper omne vitae spatium famula fuit.

しかし獅子が泡立つ海岸の湿った場所についたとき
女性化したアッティスを大理石のような冷ややかな岸のそばに見出した、
獅子は彼ににじり寄った:彼はわれを忘れ野生の森に逃げ込んだ:
そこで彼女は人生のすべての時間を女従者として過ごした。

dea magna, dea Cybelle, dea domina Dindymi,
procul a mea tuus sit furor omnis, era, domo:
alios age incitatos, alios age rabidos.

大いなる女神よ、女神キュベレーよ、ディンデュムスの女主人たる女神よ、
私の家から遠く離れたところに、あなたのすべての狂気があるように、女主人よ:
他の者たちを激情させたまえ、他の者たちを狂わせたまえ。

— Catulle Poésies 63

おまけ

朗読している動画を見つけました。テキストに微妙な相違があるかもしれませんが、詩のもつ雰囲気は理解できると思います。

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