意見と反論

こんにちはサクラです。

今日はこのブログ、または私に向けた意見と思われるものを拾い、コメントまたは反論します。

このブログも開始後1年以上経過して、それなりの人に見てもらっているようです。このブログを始めたのは、SRSを受けて一段落し、これまで私の出会ったような疑問や困難に今立ち向かっている人の参考にしてほしいと思ったためでした。

ブログの集計ツールを見ているとどこからこのブログにやってきたかわかるようになっています。たいていは検索エンジンなのですが、他のところから来られる場合もあります。ちょっと気になってエゴサーチをしたところ、このブログについての意見をいくつか見つけました。私の意見があるのと同様、それと異なる意見もあるわけです。今日はそれらを紹介しながら、私なりのコメントと反論をつけていきます。原文は好ましくない表現もあるので、引用は適宜修正を加えています。

どうして未成年の子がいる四十路オヤジに診断が出るのだろうか

私は40代のMtFトランスジェンダーで、生物学的性は男性で、戸籍上は二人の娘の父であり、その二人の娘は性同一性障害の診断時には未成年でした。ただ診断が出たときには私は30代なかばだったので「未成年の子がいる四十路オヤジに診断が出」たというのは「四十路」のところだけ誤りがあります。

診断はDSM(『精神障害の診断と統計マニュアル』)という診断分類に沿って精神科医が下したものですので、この方の疑問の回答を得るにはDSMについてよく理解した上で専門家に尋ねるのが良いと思います。すくなくとも「未成年の子がいる」とか「四十路オヤジ」であるから性同一性障害から除外するとは書かれていないと思いますし、そのような理由のため診断が出されるべきでないという合理的な説明が私には思いつきません。

もしかしたら「精神科医はトランスジェンダー治療の門番であって、倫理に反するような場合には、たとえ診断結果が明らかな場合であっても、これを否定し門を閉ざすべきだ」と考えられているのかもしれません。これはあくまで推測です。

未成年の子を持つ私が一人で育児をするにあたり、母の役割を負う事情がありました。経済的なことを除けば、小さい子供にとって父より母のほうが必要とされているからです。そして出産以外の母の役割を生物学的男性が担うことができないという根拠は私には思い当たりません。

娘たちは常に、私が女性化することに肯定的でした。のばした髪を切ろうとしたら止められ、外出時には常に母であることを求められました。2回の引っ越しの後、子供の保育園や学校には母親として出向くことになりました。ある保育園の園長先生と私は(私が父であることを打ち明けた上で)園児やその父兄に対しては母として振る舞うのが最善策であると決めたことがありました。私にとっては未成年の子がいるため、むしろトランスジェンダーの移行が早まったといえます。

子育てMtFと聖母マリア

年齢に関しても同様です。「四十路」というのは「トランスジェンダーとしては高年齢である」という意味でしょう。しかし年齢が若ければ診断を出してよい、年齢が高いのであれば診断を下すべきでないと言う根拠を私は挙げることができません。また診断と治療とは別な段階で、診断が下されたからといっても、性の移行を行うような治療は個別な事情により行われない可能性もあります。

もしかしたら、私のことを「性自認が男性で、家族の事情を無視し、性欲を満たすために女性化の幻想を抱く男性である」とこの方は考えているかもしれません。ただ診断に際してそのようなケースは除外されます。私は自分が女性として生活できることに非常に満足しています。

autogynaephiliaについて

また、性自認が女性である私のことを「オヤジ」と呼ぶことは、少し侮蔑的な印象を受けました。私が女性として社会生活を送ることに否定的な態度が表明され、私にはその資格がないといった低い評価が下されています。例えば「目の不自由な人」「体の不自由な人」という表現には、これらとは別の呼称が以前存在し、差別的・侮蔑的に使われていました。私に向けられた「オヤジ」という言葉は、これと同じ響きを持っています。このブログへのリンクと合わせてコメントをされる場合、そのリンクを辿って私が目にする可能性があります。可能であれば、お使いの言葉に配慮を願いいたします。

さて別な意見を見てみましょう。こちらも文体と言葉を変えてあります。

生殖器の改造を「性別を反転できる魔法」と思ってる人は現在もいるのだろうか

解釈の仕方によって、どうとでも取れる文章なので注意が必要です。「過去にはいた」と言っているようですので、もしかしたらジョン・マネーのことを指しているかもしれません。「外性器を変えれば性自認も性志向も魔法のように変えることができる」という意味でしたら、私もそれは確かとは思いません。「生殖器の改造」、つまりSRSはあくまで性自認の安定したトランスジェンダーが、自分の望む性で暮らすために取られる措置であるだけです。

一方私にとってのSRSはある意味では魔法であったとも言えます。診断を受け、ホルモン療法も続け、体が女性化し、日常的に女性として暮らす時間が長くなっていっても、できないことはたくさんありました。それは主に温泉とプールです。私は手術に至る10年近く公衆浴場にもプールにも、着替えが必要となりそうな活動を一切避け続け、低いQOL(生活の質)に甘んじなければいけませんでした。SRSによってこれらの障害が取り除かれた結果、QOLは著しく改善しました。この意味で私は「魔法」と読んでも差し支えないと思っています。

憧れの露天風呂

登山と温泉

プールのこと水着のこと

あと一点「反転」という言葉は性の二分法に従った表現だと思います。世の中男性と女性のどちらかしかいないと言う考え方には異論があるのですが、それはそれで長くなりそうなので指摘するにとどめておきます。

次の意見を見てみましょう。

性自認を固定して身体を改造するより、脳内の性自認を書き替えるほうが、将来容易になったりしないだろうか?

「将来」の話なので、真偽はつけられません。しかし「脳内の性自認を書き換える」ことの方を優先する合理的な説明が私には思いつきませんでした。これは、性別に違和感を持った人が、その違和感を否定するような世の常識に自らの認識を強制的に合わせる試みと同じものだと言えます。このことを説明するのはなかなか難しいのですが、「せっかく対処できる措置があるのにこれを行わない」ということは、以下のような言い換えと同等だと言えます。

  • 近眼の人が「見えるようになりたい」という考えを「近眼であるのが自分だ」という考えに書き換え、視力矯正を行わず視力に不自由な生活を営む
  • 虫歯の人が「健康な歯を持ちたい」という考えを「歯が悪いのは自分には自然なことだ」という考えに書き換えて、歯の治療を行わず悪化させるまかせる
  • コレステロールの高い人が「健康でありたい」という考えを「コレステロールが高いことは自分にとって自然だ」という考えに書き換えて、投薬を行わず病気のリスクの高める

近眼であっても、虫歯であっても、動脈硬化が進んでも、「そのような状態に自分がいるのは自然である」という認識に達しているのであれば、同情や援助は必要がないということです。ただ私なら、その状況に甘んじたりせず、眼科や歯科や内科に行き、できる限りの対処をすることでしょう。

知られている限り有史以来、人間は体の改造を行い続けてきた種族です。二本足で歩行し、火を使い、近視を矯正し、虫歯を治し、病的な体質を改善させる。現代の人は通信記憶端末を利用し、記憶の拡張や遠隔地の人との交流を行いますが、このような機器は将来的に体に埋め込まれるかもしれません。これらは生活の質を高めるために人々が行ってきたことです。このなかに「体の性を投薬や手術により性自認に合わせる」ということを含めても特に違和感がないと思えます。

いかがでしょうか。最初にお話したように、私のブログは、現に性の問題に直面している方の参考になることを目的としています。そういった方々が一見正しいように思えるこれらの意見に惑わされないように、私からコメントと反論を書きました。というのも、「惨めな生活から抜け出す権利が人にはある」と私は思うからです。

より豊かな土地での生活に移り住む人々がいることが自然なのと同様に、より実りと恵みのある性に移行する人々がいることもまた自然なことと言えます。そしてその性について私達は多くのことを知らないままでいると思います。

クマノミと私

LGBTのTについて

人工子宮と女性の解放

 

ブレンダと呼ばれた少年

アニマとアニムス

両性具有と恵み

「意見と反論」への2件の返信

  1. 最初の誹謗的意見の主は、「精神科医がGIDとの診断を下してよい条件(そしてそれにもとづく身体的治療を開始してよいための条件)」を、GID特例法にもとづく戸籍の性別変更ができるための条件と、混同しているようですね。この種の初歩的な誤解にもとづく誹謗的意見は、まだまだ世の中に多く出回っているようです。

    医師であってもGIDがらみの精神科医学のことは勉強していないと思われる泌尿器科医から、「わたしはあなたのセクシュアル・オリエンテーションの問題、つまり性的嗜好――テイスト――の問題については、ご自由と思って、干渉いたしませんが……」などという〝理解ある〟態度を示されたことがあります。

  2. Akemiさん

    コメントありがとうございます。ご指摘の戸籍変更のことについては思い至りませんでした。改めて読み直すと、たしかにそうとも読めますね。

    以下、他の方への補足のため、説明的な記述にさせてください。

    現在の特例法では、「子なし要件」つまり未成年の子がいる人は戸籍の性別変更ができないことになっています。「子供の福祉を担保する」とか「家族倫理を脅かすことのないように」などの観点から設けられた条項であると、私は理解しています。

    ただ私の家庭についてだけいうと、この状況(社会的に女性であるのに、戸籍上男性である親の存在)は、学校に行っている未成年の娘に、難しい状況を押し付けていると思っています。親である私が単に「女性」であれば物事が簡単に行くことが多い状況です。(これはまた別な記事を書きます)

    未成年の子のいるトランスジェンダーMtFで、親権を持ち、養育に深くコミットしているケースはそれほど多くないと思っています。このため、「未成年の子がいる四十路オヤジ」が気軽に性別変更することに対する違和感を持つ方は、まだ減ることはないでしょう。

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