戸籍変更について

ボンジュール、サクラです。

前回の投稿から、随分時間が立ってしまいました。今日は戸籍の変更について私のプランをお話します。

4月になり18歳の私の下の娘は成人となりました。家に(未成年という意味での)子供がいなくなったことは少し寂しくもあります。

しかし、以前から考えていた戸籍の性別変更にようやく着手できるのです。未成年の子供がいると性別変更できないというのは以前お話しました。

最後の健康診断

裁判所のホームページを見ると、申立の方法が書いてあります。必要な書類としては以下になります。

(1) 申立書

(2) 標準的な申立添付書類

・申立人の出生時から現在までのすべての戸籍(除籍,改製原戸籍)謄本(全部事項証明書)
・所定の事項の記載のある2人以上の医師による診断書

 

このうち(1)は裁判所にあるので、申立のときに記入すれば良いでしょう。(2)の戸籍謄本も戸籍のある役所で取得できます。診断書は再度、性同一性障害の診断書をいただいた精神科の先生にお願いする必要があります。

予約を取ろうと電話したところ、「SRSを受けられる年齢は成人とはいえ20歳のままだから、子供の成人が18歳で良いかはわからない。裁判所で確認してほしい」と言われました。成人年齢の引き下げに伴ってSRSを受けられる年齢も当然引き下げられたものだと思っていたので、少し意外でした。もしかしたら制度が変わるときの一時的な状態かもしれませんが、該当する方は確認しておいたほうが良さそうです。

私の住んでいる地区の家庭裁判所に電話で確認したところ「申立の要件は満たしている」と言われました。18歳なのか20歳なのかという問題も裁判で決められることに含まれるのだそうです。ということで精神科の予約をしました。

前回、名前の変更のための診断をもらってから10年近く経過していたので、改めてその間の「自分史」を先生に見てもらい、診断経過の更新をしてもらいました。ファーストオピニオンの診断をもらうまで2回通院しました。診断書は実費で2万円でした。

随分女性らしくなったね、と先生から言われ、当時からいらっしゃる受付のかたからも言われ、昔はいったいどんなだったんだっけ?と思い返してしまいました。

当時の私は今よりも、まったく見通しもたたず、いくつもの行き止まり道回り道で立ち止まり、帰るべきか先へ行くべきか悩んだものでした。でも帰り道はなくなっていました。まるで中島みゆきの『遍路』という歌の世界です。

これから二人目の先生の診断を受けることになります。

最後の健康診断

こんにちは、サクラです。

今日は戸籍の性別と健康診断の話をします。

以前からお話している通り、私の戸籍上の性は男性のままです。通常SRSを終えた方の多くは早々に性別変更の手配をするのですが、私はある条件のために変更できないままでいるのです。「性同⼀性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」で規定されている以下の条件を見てください。

  1. 年齢要件:20歳以上であること
  2. ⾮婚要件:婚姻をしていないこと
  3. ⼦なし要件:未成年の子どもがいないこと
  4. 不妊要件:生殖機能を永続的に欠く状態にあること
  5. 外観要件:移行する性別の性器に近似する外観を備えていること

年齢要件は当然満たしていますし、離婚をした私は非婚要件も満たしています。さらに3年前にSRSを行った際に不妊要件外観要件も満たすことができました。しかし私には未成年の娘がいるため子なし要件だけ満たすことができないのです。

娘たちが幼く母親を本当に必要としているときに母親にはなれず、彼女たちが成人してあまり必要となくなったときにようやく母親になれるというのはなんとも皮肉な要件があったものです。「母たる男性や父たる女性が生まれてしまうことは、子どもの福祉や法秩序上、それが好ましくない」という趣旨なのでしょうが、私からすればただの「余計なお世話」としか思えません。

この要件についてですが、18歳を成人とする民法改正によって2022年4月から今18歳の下の娘が成人となり、これ以降私は最後の要件を満たし手続きを経て戸籍が変更できることになります。

さて、私の住んでいるところでは自治体の補助で健康診断やがん検診が受けられるようになっています。もう半世紀も生きてきた私はこのような機会があれば利用することにしています。早死は良いとしても、不摂生な長生きは避けたいと思っているからです。

検診の予約を取ろうと電話をしたら、担当者は去年も検診を受けた私のことを覚えていてくれました。以前、書類上の性別は男性だけれど女性更衣室に案内したことがあったからでした。

がん検診の予約をしているとき前立腺がんの検診は受けるのかという話になりました。担当の方は私に前立腺が残されているかわからなかったようです。MtFのSRSでは、外性器の見かけが変わりますが、私の知る限り一般に前立腺は除去されないようです。このためMtFでSRSを終えても前立腺がんのリスクは引き続き残ります。

来年性別を女性に変更してしまうと、それ以降は前立腺がんの検診に対しては自費で行う必要があるため、今回が補助の受けられる前立腺がん検診の最後となるわけです。当然ながら検診はお願いしておきました。

前立腺がんについては、その抑制方法として知られる睾丸切除と女性ホルモン補充という対処を(別な目的ではあるものの)私は実践しているため、そのリスクはあまり大きいとは思えません。とはいえ今後もしかしたら自費で検査をしておく余地は残しておいたほうが良いかもしれません。

女性に変更後は、乳がん検診と子宮頸がん検診に補助がでることになるので、後者はお断りするにしても前者についてはありがたいと思っています。ここのところ胸が少し大きくなったので、乳がん検診はしておいたほうが良いと思っています。

生物学的男性が母親になること

ボンジュール、サクラです。

今回は生物学的男性が母親になるためにどのような問題があるのかを書きたいと思います。

以前から書いている通り、私は二人の娘と三人で暮らしています。私が現在「ただ一人だけの親」であり見た目が「女性」であることから周囲からは「母親」と認知されています。

また仮に私の性別に対して疑問を持つ人がいるとしても、私が「母親」であることから必然的に「女性」と判断せざるを得ないということもあるようです。それほど「母親」というものは「生物学的女性」と不可分である概念なのでしょう。

では男性が母親になるためにどのような問題や障害があるか考えてみたいと思います。

 

1.子作りについて

男性は子宮がないため出産をすることはできません。このため、誰かの子宮を借りて子供を作ることになります。この制限はすべての男性に当てはまりますが、出産の機能に問題のある女性もこれに当てはまります。後者の場合代理出産というかたちで子供を設けることになります。

以下は以前の記事の引用です。

男子高校生の私は、妻はほしくない一方で子供だけ持ちたいと考えていたので、このジェニー・フィールズの生き方に強い共感を覚えました。しかし彼女と違い子宮のない私には、その実現はよりハードルが高いものでした。SF小説では自分のクローンを作って育てる話もありますが、今でも人間の生殖にたいする実用化のめどが立っていません。当時の私の考えていた将来の計画は、なんとかして金持ちになって、契約を結ぶことで女性に代理出産をしてもらうことでした。(中略)実際には生殖適齢期のうちに金持ちにはなれませんでしたが、ふとしたことで結婚して娘も二人持つことできました。

ジェニー・フィールズの世界

文中のジェニー・フィールズとは小説の登場人物で、「夫は不要だが子供がほしい」と考えそれを実行に移した女性のことです。

実際のところ、生物学的男性にとって子供を得る一番有効な方法は「女性と生殖し子供を産んでもらう」ことになるでしょう。性自認が男性である場合には「愛する女性が出産することで父親になる」のでしょうが、私の場合は後付ですが「代理出産を経て母親となる」ことになりました。

 

2.第一保護者について

「母親」であるもう一つの条件として、「子供にとっての第一保護者である」ことが要請されます。父親と母親の違いはその性別だけではなく、どちらが子供の世話に対して高い優先度で接しているかが問われます。そして多くの場合それは母親となっています。

父親が子育てを手伝うことがあるにせよ、父親が一人ですべてそれを行うケースはあまりないと思います。私の子育て期と今では少々事情が違うかもしれませんが、「母親が第一保護者である」という観念には保育園など育児に関係する局面では至るところで出会うでしょう。

ここで父親が母親として認められるには次の2つの条件を満たす必要があります。

  • 見た目が女性であること
  • 母親が不在であること

前者についてはトランスジェンダーとしての道を歩むことで実現することが可能でしょう。これは後述します。

後者については、出産する女性が必要な一方で、その女性が母親としての地位を出産後に放棄する必要があります。この条件を満たすことはかなり難しいと思います。私の場合には偶然なのか必然なのかこれをクリアすることができました。

以下同じ記事の引用です。

妻が私と娘たちから離れ、別居するまでには長い時間はかかりませんでした。妻の能力と意思がそもそも結婚生活継続に向いていなかったこともありますが、私の中でジェニー・フィールズの影響が強く作用していたことが最も大きな原因だったと思います。もしかしたら私は負傷した兵士のなかから生殖相手を探したジェニー・フィールズのように、結婚生活に向かない女性を生殖の相手に求めていたかも知れません。だとすれば結果として私は高校の時の願いを叶えたことになります。男性として生まれ、子供をもち、女性化して出産を除いたほとんどの母親の役につけたのですから。

このように母親になりたい男性にとっての最大の障壁は、出産した女性が母親になる意思を持ったときに、それを排除することはできないということです。離婚をするにしても日本では母親に親権が渡ることが多いと思います。

そしてこれらの障害をクリアしたとしても、子供の親として自分だけが残るため、ひとり親家庭となる覚悟が必要となります。ひとり親については自治体の支援があるのでよく調べておくことをおすすめします。

下の娘が保育園のときに「お母さんってパパのこと?」と聞かれました。当時まだ私は子どもたちから「パパ」と呼ばれていました。一方で彼女のいう「お母さん」とはここでいう「第一保護者」を意味しています。このときすでに子供たちは私を「母親」として認め始めていたのでした。

子育てMtFと聖母マリア

 

3.女性としての外見について

上でも出てきましたが、母親として認められるには女性として認められる必要があります。私の場合二人目が生まれたのが32歳のころで、そこからトランスジェンダーの道を歩み始めました。もともと中性的だった面もあるとはいえ男性が女性としてパスするのはとても根気のいることです。

とはいえ、一つ前の議論よりは幾分優しい問題と言えるでしょう。なぜならこの問題は他者は介在せず自分一人ですすめることができるからです。ただし子作りが終わるまで実行に移さないほうがよいでしょう。ホルモン療法を始めてしまうと生殖能力は低くなってしまうからです。

今から考えると、当時駆け出しのトランスジェンダーだった私が女性として完全にパスしていたとは思えません。ただ周囲の母親たちは「仮に男性だとしても母親として努力している」私に寛容に接してくれたのだと思います。

私は子どもたちが小さい頃、彼女たちにこんなことを聞いたことがあります。「お父さんのサクラとお母さんのサクラとどっちがいい?」と。二人は「お母さんの方」と答えてくれました。私が「女性の第一保護者」であり「母親」であるということは家族の共通の価値観となりました。

 

4.子育てについて

もし母親になりたいというのであれば、子育て全般をこなすことになります。とはいえ世の中にはたくさんの育児書や知識が溢れていますので参考になるものはあるでしょう。私はこのときに私の母がなにをやっていたかを思い出し参考にしたものでした。

ただ生物学的母親を排除した場合、子育ては一人で行わなくてはいけません。食事や洗濯をはじめ、病気のときの対応のほか、服やおもちゃを用意したり、塾や教室に行かせたり、予防接種を計画どおりに受けさせたり、保育園の手伝いや学校のPTAの参加をしたり、友達とその母親たちとの付き合うことなど枚挙に暇がありません。

子育てに多くの時間をさく一方で、仕事をして経済的な基盤を築かなくてはいけません。子どもたちが小学校に上がるまでの時期は朝起きてから夜寝るまで片時の休みもないスケジュールでした。自分のやりたいことをゆっくりやる、という時間は諦めなくてはいけませんでした。(限られた時間で唯一私ができたことが語学の勉強でした)

この時期は本当に大変であったのと同時に、私の人生で一番大事な時期であったと今でも思います。

 

5.家庭の物語について

家庭というのは主に血縁により結ばれる人の集団です。そのメンバーの心をまとめるには一種の神話が必要となります。どの家でもその家の成り立ちに関する物語や祖先についての言い伝えがあることでしょう。そして家庭で毎年行われるイベントや家庭内の祭事を司るのは母親の役目であることが多いでしょう。

子供にとって家庭の神話は自分のアイデンティティを形成するにあたり非常に重要なものだと思います。自分の生まれる前の知り得ない出来事についての物語、それは幾分眉唾なものを含んでいても構わないのです。例えば私の家の神話では二人の娘は私のお腹から生まれたことになっています。娘たちはもう十分に合理的な考えのできる大人で私が出産できないことは理解していますが、それでも自分たちの由来というのをそのような表現にゆだねているのです。これは彼女たちが友人に話すときにも有効となります。そして私もその神話を信じることにしています。

 

まとめ

ここまで述べたことの他にも個別の事情によりまだまだ、問題があるでしょう。しかし、私についていえば母親になろうと努力することによって、子どもたちは私に母親であることを求め、それが周囲にもひろがり周囲から母親であることを求められ、いつの間にか本当の母親となっていた気がします。

もしみなさんの中に男性でありながら母親になりたいという方がいるようであれば、なるべく早い段階で計画を立て実行に移すことをおすすめします。今回お話したようにいろいろ制約がありますが、その中でも一番大事なのは時間に関連することです。

歴史の終わり

こんにちは、サクラです。

前回の記事から随分間が空いてしまいました。今回はSRSから3年が経過した現在から移行期の心の状況を振り返ってみたいと思います。

共産主義を代表する国家、ソビエト連邦が崩壊したころ、フランシス・フクヤマという政治経済学者が『歴史の終わり』という著書で政治体制の発展の歴史が終わったことを主張しました。共産主義やファシズムや王政など他の政治体制に対する自由民主主義の勝利を謳ってはいましたが、現在の世界の状況を見るとそれが妥当な主張かどうかは疑問が残ります。(この主題に関してはサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』やエマニュエル トッドの『帝国以後』のほうがより世界の事情を正確に描けていたのではないかと思います。)

この『歴史の終わり』と同じような観点で自分の性移行期を眺めてみたいと思います。

性移行期の私の心の状況は、どのような行動規範を持って日々を生きていくのかの葛藤に埋め尽くされたものでした。私の行動を男性の自分として律するのか、それとも女性の自分か、それとも現状のトランスジェンダーの自分なのか、その時の自分の身体の状況、内分泌系の状況、心理的状況により統一した方法が見出だせませんでした。

たしかにこれは仕方のないことでした。MtFの私にとって、男性の自分は決別したい過去であり、女性の自分は望むべき未来であり、トランスジェンダーの自分は妥協するべき現在というように3つが違う属性を持っていました。社会生活を行う上でこれらのそれぞれが表に出てくる場面がありました。私を取り巻く状況はつねに流動的で、生活もそれらの混在した奇妙なスタイルとなります。

自分を律するこれらのものは、それぞれ思想が異なるため、私のなかでこれらの間で対立がありました。それぞれの行動基準も随分異なるため、まるで別人のような行動をすることもありました。今から考えると軽い統合失調症になっていたのではないかと思います。

さて、SRSから3年経った現在の私を律するのは主として女性としての自分のみとなっています。男性の自分はその活躍する場を徐々に失い、職場で女性で働くことになったときに完全になくなりました。男性として外出できるような服もすべて捨ててしまったので、男性の自分が活躍する可能性は完全になくなったと言って良いでしょう。もちろんそれが寂しいとか、古き良き時代があったなどとはまったく感じません。

SRSから24ヶ月経過

一方トランスジェンダーの自分についてはどうなったでしょうか? 今のわたしを取り巻く環境ではこの行動規範が表に出てくることはあまりありません。もちろん近い友人や同僚は私がトランスジェンダーで有ることは知っていますが、あくまで基本が女性としての扱いで、話題によっては時々意識される程度です。このためトランスジェンダーの自分というのは女性としての一部分となっていて、単体で表に出てくる場面がないのです。

世の中ではLGBTという言葉が使われているものの、性自認に関する世の人々の扱いは男女という2つの選択肢になりやすく、結局のところ見た目や印象でどちらかに振られるのが一般的だと思われます。

このような内的外的状況から、私の持っていた葛藤は雲散霧消しました。私は自分に起こったこの変化をフランシス・フクヤマにならい「歴史の終わり」と呼んでいます。

ただ終わったのは性の葛藤であって、私の人生におけるすべての葛藤が終わったわけではありません。これからも色々な問題が出てくるでしょうが、自分を律するものが(少なくとも性自認に関しては)シンプルな現在、私がする対応もシンプルになると思います。

SRSから36ヶ月経過

ボンジュール、サクラです。

早いもので、SRSから3年経とうとしています。この3年間を簡単に振り返りたいと思います。

SRS前の自分がどのような気持ちでいたかを、正確に思い出すことはかなり難しいといえます。というのも、3年の間に自分の取り巻く状況が大きく変わり、過去の自分は物語に出てくる登場人物の一人のような別人物に思えているからです。

SRS前の私は男性として仕事をしていたので、女性としてまた娘の母親としての私生活と並行した二重生活を送っていました。今から考えるとかなり面倒なことをしていたものです。例えば片方での知り合いは、他方では会わないようにしていました。もし見かけたら気づかれないようにその場を立ち去ったものでした。女性のときはウィグを着用していたので、地毛とウィグとの二種類の管理をしていました。また男性器があるためプールや公衆浴場や薄着でのイベントも避けていました。子供と出かけるときは女性だったので、仕事帰りに子供と待ち合わせるということはまれでした。

こんなことを10年以上続けていたのですから、自分を褒めたいと思う一方で、もうこんなことはしたくないとも思います。いくら先を見通したつもりでもなかなかそこにたどり着けず、「こんなことをやっている自分に出口はあるのか?」となんども自分に問うて来たのでした。それでも帰還不能点(おそらくホルモン注射の開始の頃になるでしょう)を過ぎてしまってからは進み続けました。

このブログの過去記事を見ればわかることですが、SRS後のわたしは自分に課したこれらの制限を一つづつ取り除いていきました。現在では上記のすべての制限がなくなりました。来年の春には戸籍をようやく女性に変更できます。これを以て私の性移行は完了することになります。

最初の投稿&子無し要件について

さて、私の性移行は無事成功裡に終わろうとしています。これはたくさんの幸運があったことも確かですが、幸運頼みだけでは心許ないものです。以下、性移行を計画している方の参考になればと思います。

性移行を一つのプロジェクトと考えると、そのプロジェクトを適切に管理することが成功の要因になることでしょう。プロジェクトの管理とは、プロジェクトのゴールを決め、そこにたどり着くために必要な作業を洗い出し、適切な作業量に分割し、それぞれの作業同士の関連を見極め、作業の順序を決め、計画を立て、それを一つ一つ実行し、その進み具合を管理し、必要であれば作業内容を改訂していくことです。

みなさんも、引っ越しや受験や就職活動などをプロジェクトと考えると、この管理をした経験があると思います。もちろん勢いでやってしまうこともできるでしょうが、性移行についてはその期間はもっと長いものとなるのでプロジェクト管理は必要だと思うのです。私には15年近い期間が必要でした。

プロジェクト管理の手法の一つとしてWBS(Work Breakdown Structure:作業分解構成図)というものがあります。興味ある方のために、以下リンクを付けておきます。

WBSについて

大事なのことは諦めず、コツコツと続けることです。