巡礼の旅

こんにちは、サクラです。

みなさんは巡礼をしたことがありますか? 今日は私が近々巡礼に行く話をします。

巡礼とはwikipediaによると「日常的な生活空間を一時的に離れて、宗教の聖地や聖域に参詣し、聖なるものにより接近しようとする宗教的行動のこと」を意味します。それを行う人も巡礼と呼ぶこともありますが、こちらは巡礼者としたほうがわかりやすいでしょう。日本では四国八十八か所の巡礼やお伊勢参りが有名です。

英語では巡礼をpilgrimage、巡礼者をpilgrimと言い、ラテン語で「異邦人」を意味するperegrinusに由来します。キリスト教の文脈ではバチカンやエルサルム、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ、フランスのルルドへの巡礼などが有名です。

北アメリカに渡り合衆国の基礎を築いた最初の清教徒のことはピルグリム・ファーザーズ Pilgrim Fathersと呼ばれますし、イタリア料理店で出されるサン・ペレグリーノ S. Pellegrinoという炭酸水は「聖なる巡礼者」という意味のイタリア語です。

イスラーム世界では聖地メッカへの巡礼は信徒にとって重要な行いであり、ここから転じて「〇〇のメッカ」という言い方があるほどです。この表現はその〇〇を崇敬する人であれば一度は訪ねるべき場所を指しています。(ただし聖地を比喩的に使う表現であることからその使い方には配慮が必要です。)

最近ではアニメに登場する実際の場所を訪れることも聖地巡礼などと呼ばれます。そのアニメをこよなく愛する人にとってはその作品の舞台は「聖なる土地」となるのです。

さて私の巡礼の話でした。私の巡礼する先はSRSを行った街です。私は診断書などの準備が整ってから実際にSRSを受けるまで足掛け10年ほどかかっています。手術費用の問題や仕事の都合もありましたが、一番の問題は当時娘たちが幼かったことにあります。手術を受けるべき街は家から300km以上離れているため、彼女たちを家に残して行くこともできず、かと言って世話できないのが明らかである以上連れて行くこともできませんでした。

そのようなわけでSRSを行ったあの街は私にとって、それまで縁のない場所であったにもかかわらず「いつか行くべき約束の場所」として常に意識され続けていました。そして去年には、娘たちは私の不在にも十分耐えられるほど成長しましたし、資金の都合も、仕事の都合もつき、その街へ行くことが可能になりました。

実際の所SRSの術後10日近くそこに滞在し、術後のために静かに過ごしました。子どもが生まれてから20年近く私は働き続けていましたし、長期の休みをとっても必ず旅行など活動的に暮らしていたので、このように誰にも邪魔されず、特に何をするでもない日々を送るというのは私にとっては大変非日常な出来事でした。

家にもどって日常に戻ってからも、私の人生の転機となった大事な場所として、その街は常に意識され続けました。その街の名前を聞くたびに、なんとも表現し得ない感情に襲われるのです。それは懐かしいような温かいようなもので、もし可能であれば移り住みたいと何度も考えました。これは生まれた街に抱くものより強い感情です。

もし「この世界に自分が存在するにあたり、その場所がなくしてはありえない」と考えるとすれば、それは聖地と呼んで差し支えないでしょう。私にとっての聖地はあの街になるのです。

そこに私は自分の体の一部である外性器を置いてきました。執刀した先生は「せいきの大手術だったねー」と術後の診察で話されました。実のところ「性器」の変わり目は私にとっては「世紀」の変わり目以上の意味を持ちます。私の旧性器時代はそこで終わり、私の新性器時代はそこから始まりました。

術後のもろもろの生活の変化、行動の変化といったものが一段落した今、私は二泊三日の巡礼の旅に出かけることにしました。病院にお参りに行くわけにもいかないので差入れだけして、術後によく散歩した観音様にお参りすることにするつもりです。

観音様は、予想外の文脈から勝手に聖地指定されて何か思われるのでしょうか。でも敬虔な気持ちで訪ねてくる巡礼者を拒むことはないと私は思います。

ラテン詩人の記述するキュベレー信仰

Valete! サクラです。

以前お話した古代の去勢宗教であるキュベレー信仰の続きです。ローマの詩人による記述を詳らかにします。

女神キュベレーとアッティスの去勢

ローマに移されたキュベレー信仰

プリュギアの地の女神キュベレー信仰は次のような経緯で古代ローマに持ち込まれることになりました。紀元前3世紀の終わり、第二次ポエニ戦争でカルタゴのハンニバルにイタリア半島を蹂躙されていたローマは、国難にあたり予言の書を参照し、この東方の女神を招きこの恩恵に与ることしたのです。ポエニキア人(あるいはフェニキア人)の統治するカルタゴに対するローマの警戒心はとても強く、仮にカルタゴの手にローマが下ったとしたら、私達の住む現代社会も全く違ったものになっていたかもしれません。以下ローマの歴史家リウィウスの記述を引用します。

civitatem eo tempore repens religio invaserat invento carmine in libris Sibyllinis propter crebrius eo anno de caelo lapidatum inspectis, quandoque hostis alienigena terrae Italiae bellum intulisset, eum pelli Italia vincique posse, si mater Idaea a Pessinunte Romam advecta foret. — Tite-Live, Histoire de Rome depuis sa fondation 29:10 —

この頃、宗教的な主題が突然ローマ市民を巻き込んだ。その年の間に異常な数の石の落下現象が起きたため、シビュラの書の精査が行われ「外国の敵がイタリアに戦争を仕掛けるたびにそれを追放し征服することができる、もし イデの母がペッシヌースからローマに運ばれるのであれば」と表明した詩が発見されたのだった。

ローマの建国者とされるアエネーアースは現在のトルコ西部にあったトロイの出身であることから、同じくトルコ中央部のプリュギアの女神に対して、ローマ市民は親和的な感情を持てたことでしょう。この女神とその神官であるアッティスについて紀元前1世紀の詩人カトゥッルス Catullus(カトゥルスとも)の詩が残されています。ローマに女神が奉じられてから200年近く経過しているわけですからこのキュベレー信仰はローマで十分根付いていたと言えるでしょう。

カトゥッルスによる信仰の解釈

カトゥッルスは一般にはラテン恋愛詩人として有名ですが、彼の残した詩集 Carminaにはそれ以外の主題のものも存在します。この詩集の第63歌はキュベレーに従うアッティスについて書かれたものです。第63歌は日本語訳された形跡がないため、この記事が最初の日本語訳かもしれません。英訳と仏訳を参照しながら訳しました。

内容についてざっと抑えておきます。以前紹介したパウサニアスの記述とはことなりアッティスはキュベレーの子供でも愛人でもなく、船にのり異国からキュベレーの土地にやってきた異国人で女神の忠実な従者とされています。アッティスは詩の中では、一部だけ男性形で受けられる箇所(キュベレーが獅子に命じる箇所)もあるのですが、全般には女性形で受けられていますので、ここでも「彼女」とします。

ディオニュソス的な狂乱の中でアッティスは自らの男性器を石で切り落とし去勢しキュベレーに帰依します。そして自分の従者たちもそれに追従させます。その後、狂気から一時逃れた彼女は自分のしてきたことを後悔し、また自分がかつて男性として暮らしていた故郷を懐かしみ、キュベレーへの信仰から離れようとします。しかしキュベレーの放った獅子により女神のもとに戻り、残りの人生を全うするという話です。

ここに登場する獅子はキュベレーの乗る二輪戦車を牽く動物とされています。この獅子は実在の野生動物というより、宗教の与える強い畏怖の象徴かもしれません。その観点に立つと、この詩全体がキュベレーに帰依し自らを去勢する信者の心理描写と言えるかもしれません。であれば、信者はアッティスの物語を自分の体験として重ね合わせ去勢し女神に帰依したのでしょう。

キュベレーの女従者は単数でGalla、複数でGallaeという女性名詞で呼ばれています。他のテキストでは単数Gallus、複数Galliと記述されているものもあり、こちらは男性名詞です。このようにキュベレーに帰依した者に対する認識は男性と女性の間でゆらぎがあります。

いくつか文中の気になる表現に解釈を入れておきます。

Veneris nimio odioは「ウェヌスに属する激しい嫌悪により」と「ウェヌスに対する激しい嫌悪により」の二通りの解釈ができますが、Les belles lettres版の仏語訳ではpar une haine sans mesure contre Vénusとあったので後者としました。ウェヌスは女性全般を象徴するので「自分が男性であること、異性愛的結合が自明であることを前提として結ばれることとなる女性全般に対して向けられる嫌悪」とここでも理解することが出来るでしょう。前回のパウサニアスの記述においてアッティスは結婚のまさにその場で去勢しました。「男性の処女性」を担保するにあたって去勢は非常に有効な手段なのです。

notha mulier「別腹の女」というアッティスに対する表現は、興味深いものがあります。形容詞 notha、原形で nothusは「偽造の」「疑似的な」「妾腹の」「非嫡出の」「純種でない」などの意味で、アッティスが去勢により後天的に女性となったことを意味しています。トランスジェンダーMtFにもカトゥッルスの考案した notha mulierという表現は十分流用できるでしょう。

アッティスとその女従者たちが sine Cerere「ケレースなしに」眠りにつきますが、この意味ははっきりしません。ケレースはローマの豊穣の女神でギリシアのデーメーテールに比定します。この豊穣の中には「婚姻による子孫繁栄」の意味も含まれ、この女神は結婚の象徴ともされています。このような類推から「(去勢したことによって)女性との結合を今後自分の意思に反してさせられるような心配がなくなったことによって」と解釈することができます。先程の「ウェヌスに対する激しい嫌悪」と同じ前提がここにも見られます。

アッティスは故郷 patriaに対して呼びかけますが、この単語は女性名詞で女神キュベレーと対立する概念として表現されます。つまり「自分を産み育んだ母なる故郷」と「性別を変更して自分が帰依する異国の女神」との対立です。トランスジェンダーが性移行で体験するような、二つの岸の間で揺れ動く心の機微を、詩人カトゥッルスはよく捉えています。

では以下にラテン語原文とサクラの日本語訳を交互に記載します。原詩はガリアンボスという韻律で作られています。一方、サクラの日本語訳は力及ばず、ただの散文です。あしからず。

カトゥッルス 詩集 第63歌

Super alta vectus Attis celeri rate maria
Phrygium ut nemus citato cupide pede tetigit
adiitque opaca silvis redimita loca deae,
stimulatus ibi furenti rabie, vagus animis
devolvit ili acuto sibi pondera silice.

波高い大海原を素早く走る船に運ばれアッティスは
プリュギアの森に焦り待ちきれぬ足取りでたどり着き
森に囲まれた女神の聖域へと向かうと、
そこで沸き起こる狂気に掻き立てられ、心はさまよい
自らの重荷を鋭く尖った石によって切断した。

itaque ut relicta sensit sibi membra sine viro,
etiam recente terrae sola sanguine maculans
niveis citata cepit manibus leve typanum,
typanum, tubam Cybelles, tua, mater, initia,
quatiensque terga tauri teneris cava digitis
canere haec suis adorta est tremebunda comitibus

そのようにして彼女の体が男性器以外残されているのを感じ取ったとき、
大地の土が鮮血により染まっていたとき
雪のような白い両手で急ぎ彼女は太鼓をそっと手にとった、
母であるキュベレーよ、あなたの太鼓とラッパを、入信の儀式の象徴を、
そして細い指々で張り子の去勢牛の背中を叩きながら
彼女は震えながら自分の従者たちに対して激しく歌い出した

“agite ite ad alta, Gallae, Cybeles nemora simul,
simul ite, Dindymenae dominae vaga pecora,
aliena quae petentes velut exsules loca
sectam meam exsecutae duce me mihi comites
rapidum salum tulistis truculentaque pelagi
et corpus evirastis Veneris nimio odio,
hilarate erae citatis erroribus animum.

「急いで行け、女従者たちよ、キュベレーの深い森へ連れ立って、
連れ立って行け、女主人ディンデュメナの迷える群れよ、
流浪民のごとく見知らぬ土地を求めて
私の導きにより私の秘跡を追う、私の従者たちよ
高い波と荒れた海に耐え
そして自分の体をウェヌスへの激しい嫌悪により去勢し、
女主人へと掻き立てられた狂気によりその心を晴れやかにせよ。

mora tarda mente cedat; simul ite, sequimini
Phrygiam ad domum Cybelles, Phrygia ad nemora deae,
ubi cymbalum sonat vox, ubi tympana reboant,
tibicen ubi canit Phryx curvo grave calamo,
ubi capita maenades vi iaciunt hederigerae,
ubi sacra sancta acutis ululatibus agitant,
ubi suevit illa divae volitare vaga cohors,
quo nos decet citatis celerare tripudiis.”

ためらいは心から立ち去れ;皆で連れ立て、ついてこい
プリュギアのキュベレーの住処へ、プリュギアの女神の森へ、
シンバルの音の鳴るところへ、タンバリンの響くところへ、
プリュギアの笛吹きが曲がった笛の舌を重く鳴らすところへ、
キヅタの冠を着けたマエナスたちが力強く頭を振るところへ、
彼女たちが鋭い金切り声を挙げながら聖なる儀式を行うところへ、
女神のあの放浪者の集団がひらひらと舞うところへ、
そこで我々は激しい踊りに否応無く駆り立てられるだろう。」

simul haec comitibus Attis cecinit notha mulier,
thiasus repente linguis trepidantibus ululat,
leve tympanum remugit, cava cymbala recrepant,
viridem citus adit Idam properante pede chorus.

この別腹の女であるアッティスが従者たちに向け歌を歌うや否や、
踊りの一団が震える舌で思わず吠える、
タンバリンが軽やかに低い音で答え、窪んだシンバルが鳴り響く、
踊りの輪は駆られながら緑のイダ山に素早い足取りで向かっていく。

furibunda simul anhelans vaga vadit animam agens
comitata tympano Attis per opaca nemora dux,
veluti iuvenca vitans onus indomita iugi:
rapidae ducem secuntur Gallae properipedem.

拠り所のない怒りに息を切らせつつ心を踊らせ歩く
タンバリンに付き添われ、暗い聖なる森を抜ける先導者アッティスが、
人馴れない若い雌牛のように重荷の軛に繋がれることを避けながら:
荒れ狂う女従者たちは俊足の先導者に付き従う。

itaque, ut domum Cybelles tetigere lassulae,
nimio e labore somnum capiunt sine Cerere.
piger his labante langore oculos sopor operit:
abit in quiete molli rabidus furor animi.

さて、彼女らが疲れ果ててキュベレーの住処にたどり着いたとき、
激しい活動から眠りに身を任せる、ケレースに対する心配なしに。
この気を失いそうな目眩による鈍い眠りが両目を覆う:
荒れ狂う狂気は彼女たちの心から去り柔らかな安息へと向かう。

sed ubi oris aurei Sol radiantibus oculis
lustravit aethera album, sola dura, mare ferum,
pepulitque noctis umbras vegetis sonipedibus,
ibi Somnus excitam Attin fugiens citus abiit:
trepidante eum recepit dea Pasithea sinu.

しかし太陽が黄金の顔から輝く目によって
白い天界を、硬い対地を、荒れ狂う海を浄化した、
そして夜の暗闇を追い払った、力強い音のする足取りによって、
そこで眠りはアッティスを起こし逃げるように立ち去った:
万物の女神パーシテアーはあえぐ胸にその眠りを受け取った。

ita de quiete molli rapida sine rabie
simul ipsa pectore Attis sua facta recoluit,
liquidaque mente vidit sine quis ubique foret,
animo aestuante rusum reditum ad vada tetulit.

このようにして柔らかな安息が引き裂かれ、狂気もなしに
同時にアッティス自身は自分の行いを胸に呼び起こした、
そして彼女ははっきりと見出した、自分の失ったものを、自分のいた場所を、
心はかき乱されながらも海岸へ戻っていった。

ibi maria vasta visens lacrimantibus oculis
patriam adlocuta maesta est ita voce miseriter:

そこで大海原を見ながら、目には涙を溢れさせ
彼女は打ちのめされ故郷に向かって悲しい声でこのように独白した:

“patria o mei creatrix, patria o mea genetrix,
ego quam miser relinquens, dominos ut erifugae
famuli solent, ad Idae tetuli nemora pedem,
ut apud nivem et ferarum gelida stabula forem
et earum omnia adirem furibunda latibula,
ubinam aut quibus locis te positam, patria, reor?
cupit ipsa pupula ad te sibi dirigere aciem,
rabie fera carens dum breve tempus animus est.

「故郷よ、私の女創造主よ、故郷よ、私の産みの親よ、
私はあなたを不幸にも置いてきた、まるで主人の元から逃げた
逃亡奴隷たちのするように、私はイダ山の森に足を踏み入れた、
まるで私が雪と猛獣の冷たい牙の元にいるがごとく
まるで私がその狂気に満ちた隠れ場所に入り込むがごとく、
どこに、どの場所にあなたがいると、故郷よ、私が求めるべきか?
私の瞳はあなたへその眼差しを向けようと欲している、
しばらくの間、私の心は御しがたい狂気から自由となる。

egone a mea remota haec ferar in nemora domo?
patria, bonis, amicis, genitoribus abero?
abero foro, palaestra, stadio, et gymnasiis?
miser a ! miser, querendum est etiam atque etiam, anime.

私は自分の家から離れこの森の中に移り住むべきか?
故郷から、財産から、友人から、両親から離れるべきか?
公共の広場から、格闘技場から、競争のトラックから、体育館から離れるべきか?
惨めな、惨めな魂よ、いつまでもいつまでも嘆くことだろう。

quod enim genus figurae est ego non quod obierim?
ego mulier, ego adulescens, ego ephebus, ego puer,
ego gymnasi fui flos, ego eram decus olei:
mihi ianuae frequentes, mihi limina tepida,
mihi floridis corollis redimita domus erat,
linquendum ubi esset orto mihi sole cubiculum.

実際これらのうち、どれが私に無関係だろうか?
女の私、青年の私、十代の若者の私、少年の私、
私は体育館の花だった、私は油を塗られた花形格闘家だった:
人がよく訪れていた私の扉、活気のあった敷居、
私の家は栄光の花冠で飾られていた、
私は太陽が昇ると自分の寝室を出たものだった。

ego nunc deum ministra et Cybeles famula ferar?
ego maenas, ego mei pars, ego vir sterilis ero?
ego viridis algida Idae nive amicta loca colam?
ego vitam agam sub altis Phrygiae columinibus,
ubi cerva silvicultrix, ubi aper nemorivagus?
iam iam dolet quod egi, iam iamque paenitet.”

私は今、神々の女従者として、キュベレーの端女として生きるのだろうか?
私はマエナスとして、私自身の一片として、性的不能な男として生きるのだろうか?
私は緑のイダ山の冷たい雪に囲まれた土地で生を営むのだろうか?
私はプリュギアの高い頂きのもとで生を全うするのだろうか、
森に住む雌鹿のいるところ、森をさまようイノシシのいるところで?
今このとき自分の今までの行いを嘆き、そして今このとき私はそれを悔やむ。」

roseis ut huic labellis sonitus citus abiit
geminas deorum ad aures nova nuntia referens,
ibi iuncta iuga resoluens Cybele leonibus
laevumque pecoris hostem stimulans ita loquitur.

彼女のバラ色の唇からその訴えが放たれると
その予想外の知らせは神々の両耳に伝わる、
その時、キュベレーは獅子に繋がれていた軛を外し
左手にいる羊の群れの敵を突き棒で刺激しこのように話した。

“Agedum,” inquit, “age ferox i, fac ut hunc furor agitet,
fac uti furoris ictu reditum in nemora ferat,
mea libere nimis qui fugere imperia cupit.
age caede terga cauda, tua verbera patere,
fac cuncta mugienti fremitu loca retonent,
rutilam ferox torosa cervice quate iubam.”

「行け」と彼女は言った「獰猛なものよ、行ってこの者を狂気が駆り立てるようにせよ、
狂気の一差しによって彼を森へ戻させるようにせよ、
向こう見ずにも私の支配から逃れようと欲するものを。
行け、その尻尾で脇を打て、その鞭を耐え忍べ、
大きな唸り声をすべての場所へ轟かせよ、
激しく力強い首にある赤いたてがみを震わせよ。」

ait haec minax Cybelle religatque iuga manu.
ferus ipse sese adhortans rabidum incitat animo,
vadit, fremit, refringit virgulta pede vago.

このようにキュベレーは命じ、軛を手で締め上げる。
猛獣自身は興奮し心に獰猛さを呼び起こす、
それは駆け、唸り、無思慮な足使いで茂みをかき分ける。

at ubi umida albicantis loca litoris adiit
tenerumque vidit Attin prope marmora pelagi,
facit impetum: ille demens fugit in nemora fera:
ibi semper omne vitae spatium famula fuit.

しかし獅子が泡立つ海岸の湿った場所についたとき
女性化したアッティスを大理石のような冷ややかな岸のそばに見出した、
獅子は彼ににじり寄った:彼はわれを忘れ野生の森に逃げ込んだ:
そこで彼女は人生のすべての時間を女従者として過ごした。

dea magna, dea Cybelle, dea domina Dindymi,
procul a mea tuus sit furor omnis, era, domo:
alios age incitatos, alios age rabidos.

大いなる女神よ、女神キュベレーよ、ディンデュムスの女主人たる女神よ、
私の家から遠く離れたところに、あなたのすべての狂気があるように、女主人よ:
他の者たちを激情させたまえ、他の者たちを狂わせたまえ。

— Catulle Poésies 63

おまけ

朗読している動画を見つけました。テキストに微妙な相違があるかもしれませんが、詩のもつ雰囲気は理解できると思います。

父親による授乳について

こんにちはサクラです。

今日は父親による授乳の可能性について、お話します。

授乳は通常母親によって行われます。母体においては妊娠時のホルモンのバランスから乳汁が作られるようになりますが、その仕組みは完全には解明されていないようです。

父親が自分の乳汁により授乳できるかどうかを考えるとき、前提なしにそれが困難であることはわかります。母親でさえ体調や体質によって十分に授乳することが困難な場合があるのですから、通常ありえないとされている男性の乳汁生成はずっと困難なはずです。

ちょっと古い記事になりますが、およそ40年前の1980年2月21日の朝日新聞に父親の授乳についての記事がありましたのでここに転記します。現代の感覚からは語用に違和感があるとは思いますが訂正はしません。

父のチチで赤ちゃんが育つ

【ニューヨーク二十日=AP】父親のお乳を吸って育った六歳の女の子が標準より大きく育っていると、アメリカのレオ・ウォルマン博士が明らかにした。精神医学にくわしい産婦人科医である同博士は「父親がお乳を出してわが子を育てたのはこれが最初で唯一だろう」と述べている。

この父親はニューヨークに住む四十歳のホモ男性。バストを大きくするために、博士から十二年間女性ホルモンの注射を受けていた。結婚したとき、夫人はそのことを知っていたが、夫婦は子どもを産もうと決心し、博士は夫の性的能力をつけるために、男性ホルモン注射に切り替えた。

念願かなって、妻が妊娠、夫は妻を助けるとともに、自分も精神的な満足を得たいと、博士に「乳が出るようにして」と申し出た。

博士は患者の強い希望に負けて、乳腺を刺激する下垂体ホルモンを与えることにした。その結果、お乳が出るようになり、赤ちゃんがお乳を吸うと、普通の母親と同じようにお乳の出がよくなった。

博士の分析では、父親のお乳は、母親のものに比べると組成が少し異なるが、栄養に富み、安全なもので、臨床的にも十分、”母乳”の役目を果たしたという。この赤ちゃんは立派に育ち、標準より大きく育っている。

加藤順三帝京大学助教授(産婦人科)の話 内分泌的な知識を持った専門医がホルモンの働きをコントロールすれば、理論的には可能だろう。しかし、いずれにしろ、正常な感覚ではない。

荒唐無稽な記事なので、どこから指摘すればいいか、いろいろ迷うところですし、真偽も確かめられない以上あえて指摘したり検証しようとしないほうがよい気がしています。

しかし一つ確実なのは、「父のチチで赤ちゃんが育つ」というタイトルの持つ文彩にこの朝日新聞記者は満足していたことでしょう。

授乳した父親は、トランスジェンダー(女性ホルモンの注射を長期間受けていたことから)なのか、シスジェンダーのゲイ(「ホモ男性」からの類推)なのか、バイセクシャル(ホモといいながら女性と結婚することから)なのか、記事からは読み取れません。当時の報道はこの程度の曖昧さを許容していたのですから、現在から見ると随分おおらかな、悪く言うと雑だったと言えます。もしかしたらこの記事は報道の間に挟み込まれた一種のエンターテイメントだったのかもしれません。

このレオ・ウォルマン博士 Dr Leo Wollmanについては、現在故人であること、かつてニューヨーク市の医師であったこと、トランスセクシュアリズムの権威ハリー・ベンジャミンの著書に協力したこと、”Let Me Die a Woman”という名のトランスセクシュアルについての擬似的ドキュメンタリー映画に出演していること以外、あまり詳しいことがわかりません。

現在の日本では、この博士のような対応は無理なことでしょう。ホルモン注射による父親の授乳可能化を許容する母親も通常はいないと思います。

これ以上指摘するのはやめておきます。

一般に父親による授乳の必要性について社会では語られていません、と書こうとしたところ、以下の動画で紹介されているような商品が開発されていることがわかりました。男性の上体前面に装着する女性の胸の形のような哺乳器です。

新聞記事の最後でコメントしていた加藤助教授のいう「正常な感覚」での落とし所はこんなところだと思います。同時に、このような機器を使用して父親が母親の役割を担おうとする姿は感動を覚えさえします。

方法論が異なるとしても、以下の点において、この商品を利用する父親と新聞記事の父親は共通していることだけは言及しておきます。

  • 夫として妻を助けたい
  • 父親として子育てをしているという精神的な満足を得たい
  • 自分の胸から乳が出るようになりたい

もしかしたら、父親が母親の役割を意識するための装置として、このような疑似母親化が進行し、ある種の儀式として成立していくかもしれません。第一子の生まれる知り合いがいたら、私もこのような贈り物を検討することにしましょう。

さて、性転換が生殖可能なままで行われるのであれば、私はずっと幼少のころに、それを希望し実行していたと思います。父親ではなく母親として子育てができたらこれに優る喜びはなかったでしょう。私の女性化がここまで後ろ倒しとなったのは、性移行は生殖を不可能にするものであり、生物学的な実子を得る機会を永遠に失ってしまうことを知っていたからです。

私は、自分が親になる願望を満たした後、性の違和感の解決に着手しました。というのも、同時に満たすことができないこれら二つの課題は、この順序に従えば解決できたからです。ただし、これはあくまで結果論で、当時の私はひたすら暗中模索でした。

自分の乳房で作られた乳汁によって子供に授乳する機会に私は恵まれませんでした。それは残念なことではありますが、それを叶えようとすると、大事な他の望みを諦めなくてはならないような難しい望みだと思います。

ジェニー・フィールズの世界

子育てMtFと聖母マリア

トランスジェンダー的コスモポリタニズム

こんにちは、サクラです。

今日はトランスジェンダーとしての自分を何に帰属させるべきなのか考えます。

トランスジェンダーの方の多くは性別的に男性にも女性にも帰属されない、または帰属できないという経験をされていると思います。私は、あるときは両方に属しているような、別なときにはどちらにも属していないような感覚を味わってきました。

これは他に例えるのであれば、異邦人として外国に住んでいる人の感覚に近いかもしれません。自分の生まれた国と住んでいる国に、ある意味では両方に属し、別な意味ではどちらにも属さない、という感覚です。

英国人Stingが外国の大都市で暮らす様子を歌った Englishman in New York の歌詞も、これに近い感覚を共有していると思います。以前の日記でその歌について書いたことがありますので参考までにリンクしておきます。

異邦人

さて、先日近所の銭湯のサウナに入っていると、常連のお客さんたちが以下のような会話をしていました。

ここの女湯に性転換した人がよく来るんだって

あれあれ、その人ひょっとしたら今ここにいる私のことでしょうか? と一瞬思いましたが、まさか私がトランスジェンダーだと知っている前提でそんな話はしないだろうと推測し、私以外の人の噂と判断しました。見ている限り性質の悪そうな方々ではなく、むしろサバサバした感じだったので、当てつけでこのようなことは言わないと思ったからです。お客さんたちは続けます。

手術受けたって体の作りが違うから見ればわかるのよ

急に私は自分がどのように見えるのか気になってしまいました。背は男性としては低いものの女性としてみれば高めで、男性としては比較的華奢ではあっても、女性としてみたら肩幅は広くお尻も小さくがっちりしていると思います。通常は私のことをトランスジェンダーだと強く意識されることはないでしょうが、絵本の『ウォーリーをさがせ』を見るような注意力で見たら、私も隠れることはできないでしょう。でも、繰り返しになりますが、本人の前では言わないだろうということで、これも私のことではないと判断しました。

SRSを済ませている人が仮にトランスジェンダーだと判明したところで「女湯には入るな」とか「男湯に入れ」などとは言えないでしょう。だとしても、噂される側としては、なんとも座りの悪い気持ちが残るものです。

一方、この話をした人たちにしても、ある種の薄気味悪さを抱くのは仕方がないことかもしれません。トランスジェンダーというのは彼女たちにとっては未知のもので、外国人の未知の文化や風習が理解できないときと同様の感情を抱いても不思議はありません。

人の噂は、トランスジェンダーに限らず一般の多くの人に付きまとうものです。人の口に蓋をすることはできないので、敵意を持たれない限りは、気にせず静かに過ごすのが賢明でしょう。私達は生まれた性とは異なる性で暮らしている性的な異邦人なのですから、いわゆる外国人と同様に、人の噂にのぼりやすいのです。

このような状況を受け入れるために、過去の知恵を探ってみましょう。

古代ギリシアのアテネやスパルタといった都市国家が衰退していった時代に、自分の生まれた場所以外の場所で、あるいは複数の場所を移動しながら生きなければならない状況が生じてきました。ここからコスモポリタニズムという思想が出てきたといわれています。近代に様々な文脈で異なる意味を与えられてはいますが、もともとは「現在の世界の秩序に従いつつも自分の出身地に縛られない生き方」というほどの意味です。この思想を持つ人をコスモポリタンと呼びます。当時の人々はその状況を積極的に受け入れることでこのような思想を持つに至ったのです。

言葉の補足をしておきます。コスモポリタンは κόσμος コスモス「世界」と πολίτης ポリテース「市民」の複合語である κοσμοπολίτης コスモポリテース「世界市民」に由来します。ポリテースは πόλις ポリス「都市」に由来しています。このポリスからはたくさんの現代語が生まれています。メトロポリス「母なる都市」、メガロポリス「巨大都市」、ポリス「警察」、ポリシー「政策」、ポリティクス「政治」など枚挙に暇がありません。地名のナポリは元はギリシアの植民都市でネアポリス「新しい都市」の意味でした。コスモポリタンとメトロポリタンとスパゲッティ・ナポリタンの語尾が一緒なのは偶然ではありません。

おそらく、地縁や血縁でしか人間関係を構築できなかった当時の社会においてこの考えは衝撃的だったと思います。これをトランスジェンダーの文脈で理解するとすれば「現在の世界の秩序に従いつつも自分の生物学的性に縛られない生き方」となるでしょう。女湯のサウナの雑談としては、この話題は十分衝撃的といえます。

自分が帰属するのは自分の生まれたときの性だけでなく、男性女性に限らず性のコンテキスト全体であってもよいわけです。トランスジェンダーの文脈でのコスモポリタン、「世界市民」ならぬ「全性市民」というべきでしょうか。

LGBTの運動などにみられるように、特定の性に対しての強い帰属がなくなりつつある現状は「性のコスモポリタニズム」の台頭と言えます。トランスジェンダーは一方では「性同一性障害」と呼ばれるような「障害」かもしれません。しかし他方では生まれた性に執着せず、性を越境し自分の居場所を求める性のコスモポリタンと表現することができます。

MtFの声について

ボンジュール、サクラです。

今日はトランスジェンダーMtFの声について書くことにします。

MtFが女性として生活するには外見でパスするのと同じくらい、声でパスすることが重要と言われます。昔より機会は減ったとはいえ、今でも電話のように声だけで行うコミュニケーションは存在します。その場合、いくら外見を装っても仕方がありません。声が女性、女声であることが重要になります。

まず最初に確認しておきたいのは、男性として一度変声期を迎え低い声になったあとは、仮に女性ホルモンの影響があったとしても自動的に高い声になることはない、ということです。

ただし、声の高さは練習によって高くすることもできます。検索をするとこういった情報はたくさん出てくると思いますので、特にここでは書きません。

今の私の声については、正直なところ、一般的な女性と同じような高さにはなっていません。カラオケで女性曲を歌うとしても相当キーを下げないと裏声だらけになってしまいます。

とはいえ、普段の生活で困ることはありません。高い声をだすことだけが、女声としてパスすることではない、話し方や抑揚の付け方など声の使い方に関係することも同様に大事である、というのが私の意見です。

特に日常で困ることも不自然なこともないため、声について私はパスしていると考えています。ここに至る経緯は、自分の置かれた状況と関係していると思います。

前回書きましたが、私は娘たちの幼少の頃から母親として子育てに関わってきました。娘の所属するサッカーチームでの親の手伝い、持ち回りで数年おきに必ず担当しなければならないPTAの委員など、子育てにおいて親同士の集まりを避けることはできません。そしてほとんどの場合、その役割を引き受けるのは母親で、私もその一人というわけです。

また、二人の娘を育ててきたので、子供の声の出し方、男の子ほど特徴的ではない変声期、大人に近い発声なども、見てきました。幼児の甘い声が、成長した大人の芯のある女声に変化していく様子は、感動的でさえあります。

実のところ、こうした機会を通して、多くの同年代の女性や、成長していく女性の話しぶりを間近で観察し、自分も会話で同調するように実践してきました。英会話をネイティブに教わるのと同じように、私は女性の会話をネイティブに囲まれて教わったのでした。

私の場合、声の課題は今までに抱えていた他の課題よりも優先度は低いものであった上、他の優先度の高い課題が解決すると、自然と気にならなくなり、最終的には課題にさえならなくなってしまいました。

結局のところ、外見にしても、話し方にしても、あまり気にするよりは自然にしていたほうが良いと思っています。「美しい容姿」「愛らしい話し方」など上を望めばキリはありませんが、女性としての生活を実現するのであれば、「『男女どちらか』と尋ねられたときに『女』と判断されること」が最優先の課題だということを忘れてはいけません。

最後に電話の話をしておきます。娘が学校を休むとき、保護者である私が学校に電話しなくてはいけません。「○年○組の〜ですが」と名字だけ名乗ると「〜さんのお父様ですね」と言われることがあります。残念ながら私の声の高さから、そう判断されたのでしょう。

ただし、これは私が性別の判断を相手に委ねたから起こったことであり、もし「○年○組の〜のですが」と私が言えば、そのようなことは起こりません。電話の相手が私のことを母、つまり女性だと思って声を聞くならば、多少声が低かろうと、女性の声と思って聞こうとする心理が働くのだと思います。

それでは、よい声でお過ごしください。