トランスジェンダーの子育て

こんにちは、サクラです。

今日はシングル・トランスジェンダーの子育てについてお話します。

片親の家庭というと、一般には母子家庭と父子家庭のどちらかとなります。しかし我が家は、私がトランスジェンダーであることから、どちらかであるかは状況により変わります。

私が戸籍上男性である以上、行政の取り扱いは父子家庭なのですが、子育てや教育の場には私が母親として関わるため、母子家庭として扱われます。父親が子育てに未だ関わらない(関われない)家庭も多いので、父親が忙しい一般家庭と見分けつかないかもしれません。

役所や学校の届け出書類には「続柄」を記入するものがあります。子供本人にとって私がどういう関係にあるのかをかくのですが、私は状況に応じて「父」、「母」、「親」と使い分けます。

納税などに関わる役所の届けについては「父」と書きます。関係者は私の見かけよりも住民票や戸籍と一致してことが求められるからです。

同じ役所でも児童福祉関係の課では、我が家が父子家庭であることがわかると困惑されることがあります。市区町村によっては母子家庭と父子家庭での施策が違うため、「母親のような姿の父」が現れると「母親の対応」から「父親の対応」に切り替えなければならないからです。10年ほど前は、母子家庭のほうが父子家庭より手厚いことが多かった印象です。現在ではこの違いも縮小されているのでしょうか。

一方で子育てや教育の場では「母」と書きます。例えば学校に提出する緊急時の子供の引取りカードには「母」と書きます。「父」と書いてしまうと学校側は男性が来ると当然ながら期待しますが、私が女性として出向くと引き取り手の確認が困難になります。緊急時での面倒な判断は、できる限り排除されるべきです。この場合、生物学的性、あるいは戸籍上の性よりも、見かけの性が優先されます。

特に「父」や「母」と書く必要がない場合には「親」とだけ書きます。つまり「父か母のいずれか一人」という表現をすることが私にとって不快でない表現に思えます。とはいえ、役所や学校では私の名前が女性名であることから、書式に合わせるため適宜「母」と書き換えているようでした。

英語で両親のことを parents と言いますが、これは複数形です。単数形の a parentがこの「親」にあたる表現だと思います。一方、文法に男性女性を持つフランス語では un parent「男親」と une parente「女親」とで二分されてしまいます。とはいえ une mère「母」とは異なり une parenteは「生物学的に父であるか母であるかは考慮しない上での女親」との意味であると理解できるので、これは自分のことをうまく表現できているなと思います。

子供を介した親の集まり、いわゆるママ友の集まりでは一般に私は「母」として通します。ごく親しい人には私のトランスジェンダーである事情を話すことはありますが、通常打ち明けることはありません。お母さんたちのなかには、トランスジェンダーと潜在的な性犯罪者を混同して考えている人もいるからです。

これはかなり稀なケースだとは思いますが、多かれ少なかれ性についての誤解が一度発生すると、その解消はとても面倒なものです。周囲に無理な理解を求めるよりは、思考停止の状態でいてもらうほうが、子どもたちにとって望ましい、と私は考えています。

さて今年、下の娘が高校に入学しました。授業料無償化の関係で学校に届け出をするのですが、納税の記録を参照するため、マイナンバーのコピーか、課税証明書を添付する必要がありました。おそらく多くの家庭ではマイナンバーによる届け出となっていたでしょう。というのも、そちらのほうが手続きが少なく、一度提出すれば3年間有効だからです。

でも私は課税証明書で毎年届け出ることにしました。それはマイナンバーには戸籍上の性が記載されているからです。学校の諸届けでは私は女性としてしまっているので、これで問題になるかどうかはわかりませんが、矛盾をきたすような書類の提出は避けたかったのです。

このような複雑な状況に私があるのも性同一性障害特例法の「性別の取扱いの変更の審判」に「現に未成年の子がいないこと」というのがあるためです。私にとっては、むしろ「現に未成年の子がいること」のために戸籍変更したいところなのですが、世の中ではこの要件が必要とされる状況があるのかもしれません。

最初の投稿&子無し要件について

このように、通常のシスジェンダーの一人親家庭(母子家庭や父子家庭)より、トランスジェンダーの一人親家庭は、各所で考慮が必要です。しかし、私はもう慣れてしまい、あまり苦には思いません。親のジェンダーに関わらず、一人親家庭は一般的にいろいろ大変です。また言ってしまえば、そもそも子を持つ親は、一人親であろうが両親そろっていようが、子育て全般で様々な苦労をしているものです。

一方で、トランスジェンダーで子供を設けたり、育てたり出来るのは稀なことだと思います。いろいろな巡り合わせが私にこれを可能にさせたわけで、これを私は恵みであると考えています。

下の娘が成人となるのは2022年4月です。2022年4月に成人を20歳から18歳に引き下げる法律が施行され、その前年に18歳になっている下の娘が、その時18歳19歳である人々と同時に成人になります。これにより性別変更のすべての要件が満たされることになり、少々の手続きを経て私は戸籍上でも女性となります。そして、子育ての大半がこの時点で完了していることになりますが、我が家はこの時をもって母子家庭となります。

ウィグよさらば

What’s up ? サクラです。

今回は、性別移行期に必須だったウィグから、完全に解脱した話をします。

ウィグというのは、平たく言うと頭にかぶるカツラのことです。ウィグの主な目的は、髪型の偽装です。ハゲや薄毛を隠すため、あるいは演劇で別な人物になりすますためといった形で利用されています。古代エジプトでは激しい日光を防ぐためであったり、宗教的な目的での利用もあったようです。

Egypte louvre 286 couple.jpg
By AnonymousGuillaume Blanchard, Juillet 2004, Fujifilm S6900., CC BY-SA 3.0, Link

私が性別移行期に頭髪をすべて覆うウィグ、フルウィグを使用していたことはすでに語りました。

髪の毛について

男性として扱われている職場以外のすべての場面で私はウィグを使っていたのです。

ウィグについてのファッション上の一番の問題としては、帽子がかぶれないことです。頭のかさが増えてしまうので大抵の帽子はきつくなります。無理にかぶったところで不格好ですし、頭が蒸れるのでかなり不快です。帽子をかぶって外出すると人前でそれを取ることもできません。というのも、ウィグも一緒に取ってしまうリスクは常につきまとうからです。また人工毛のウィグでそうだったのですが、ウィグの毛は何かにふれると乱れることが多く、帽子を取るたびに、毛並みを整えるため鏡が必要になります。自分のルックスを、自分でコントロールできないのは不安なものです。

また日常生活でも制限は出てきます。例えば自転車、それもクロスバイクのような速度の出る自転車に乗るときには、安全のためヘルメットをかぶりたいところですが、これもできません。できないとは言い切れないかもしれませんが、上に述べた帽子と似たような問題があるからです。これについては、ちょっと無理筋かもしれませんが「ウィグがヘルメットの代わりとなって頭を保護してくれてる」と考えることもできるかもしれません。

どんなに暑い日でも、髪の毛を縛ったりできません。ウィグと自毛の境目は不自然なので、その部分が露出するのは避けたいところです。

遊園地も鬼門です。ジェットコースターに乗るときに、ウィグをその場で外すわけにもいきませんので、かぶったまま乗ります。係の人が「帽子やメガネや装身具は飛ばされると危険なので外してください」という言いつけも、これについては無視することになります。ジェットコースターが疾走する間、ウィグの襟足を両手でずっと持っていれば、飛ばされることはありません。しかし、大空にウィグが舞ってしまうリスクを常に感じながら乗るアトラクションは、本来期待されるスリルとは別のスリルを味わうものとなります。

手入れも大変です。汗をかくと匂うので、専用のシャンプーリンスで洗浄する必要があります。またどんなに大事に扱っても、毛先の痛みは防ぎようがなく、わたしの場合、半年に一度の頻度で買い替えをしていました。私の愛用していたウィグはだいたい1万円台半ばくらいの金額でした。

ただこのような不便なことやデメリットを差し引いでも、ウィグは断然魅力的なものでした。私のおでこの生え際はM字型の男性的で後退気味だったので、ウィグをかぶってお化粧をすると、かなり女性らしくなったように感じられました。

SRSを受けると、この状況は一変します。公衆浴場やプールなど、私の新しい活動の場にウィグがそぐわないため、脱ウィグの必要が生じました。女性化が以前より進展し、髪の生え際が改善してきたことは脱ウィグにとって追い風となりました。

しかし、脱ウィグを阻む一番の障害となるのは心理的なものです。というのも、あまりにも長い期間、ウィグは私の髪の毛として機能していたため、それなしで暮らすことに一種の強迫観念が生じていたのです。セルフイメージがウィグとともに成立していたため、ウィグなしでは自己が保てなくなっていたと表現しても、決して大げさではありません。

SRSの一時期を除き、比較的長いこと休みを取っていなかったので、私は2週間ほど休みを取り、長女と旅行に行くことにしました。主目的は骨休めですが、隠れた目的として「脱ウィグ」を掲げての旅行でした。普段知っている場所での脱ウィグは心理的なハードルが高いのですが、知らないところで知らない人に囲まれて暮らすのであれば、ウィグなしの自分になれるだろうと考えたのです。そしてそれは、うまいこと機能しました。

確かに、ウィグありで面識のある人から見たウィグなしの私は、「なんだかわからないけど大幅に何かが変わった」という印象を与えるようです。しかし、これも一度きりのことなので、すぐに慣れてしまうようです。

娘たちが脱ウィグに前向きでいてくれたこともあり、旅行から戻る頃にはウィグなしが普通と思えるようになりました。近所付き合いは普段からあまりしていなかったので、近所で歩くのは平気でしたし、必要とあれば今は帽子もかぶれるのです。

次女は今年高校入学したばかりなので、中学時代のママ友とも付き合いがなくなったところでした。数人の親しいママ友には事情を話してウィグなしでお付き合いできるようになりました。

また私が通う学校はここ3ヶ月ほど夏休みとなっていてブランクがありました。先週久しぶりに、また脱ウィグでは初めて登校し、クラスメートの洗礼を受けてきたところです。「なにか印象変わったわね」と言われ、今までウィグだったことを告白した形です。でも人は、自分が思うほど気にはしていないものです。重要なのは今の自分が一番自然だと自分自身が思うことなのです。

自分の生活の主な場面での脱ウィグが完了したところで、私の長かったウィグ生活が終わったことになります。これは男性器がなくなったことと同じか、もしかしたらそれ以上に私の生活にインパクトを与えているかもしれません。

少し気になって、ネットで「かつら 供養」で調べるといくつか神社が出てきました。機会があればお参りに行こうと思います。

女神キュベレーとアッティスの去勢

こんにちは、サクラです。

今日はそれに帰依する信者が去勢するという古代の宗教について、その伝説の部分をお話します。

前回の話の中で Κυβέλη キュベレーという女神について少しだけ言及しました。この女神に帰依する人は自らを去勢して信者となっていたと言われています。

Cybele formiae.jpg
By ChrisO投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

奴隷や、戦争に負けた王侯貴族が去勢されるということは古代では珍しくありませんでした。通常去勢される側の者は、強制的にされるわけで、それを望んだりはしないでしょう。古代の医療技術では障害や死亡のリスクがありますし、性自認が男性である生物学的男性、つまりシスジェンダー男性であればそもそも男性器が除去されるということは是が非でも回避したいことです。

しかしキュベレーの信者たちは、それらの場合とは異なり、進んで自らを去勢し、女神に習い女装し、女性として振る舞っていたのでした。これはこの女神の説話に由来しています。

キュベレーについては紀元2世紀のパウサニアスという旅行者の書いた『ギリシア案内記』Ἑλλάδος περιήγησις の第7巻『アカイアの巻』の17章にその記述があります。キュベレーはここでは Ἄγδιστις アグディスティスという別名で登場します。これはプリュギア(あるいはフリギア、現在のトルコの中西部に相当)での呼び名だと言われています。キュベレーの物語にはその息子であり、恋人でもある Ἄττις アッティスと言う人物が登場します。このアッティスもしばしば崇拝の対象とされます。

Attis-Athena Altemps Inv8585.jpg
By Marie-Lan Nguyen (2009年9月), CC 表示 2.5, Link

原文は古典ギリシア語で書かれています。この記述に至るまでに、アッティスについての紹介がありますが、彼は先天的に性的不能であったと語られています。以下はそれとは異なり、性的に健常であったアッティスについて語られています。

女神アグディスティスの誕生

νομίζουσί γε μὴν οὐχ οὕτω τὰ ἐς τὸν Ἄττην, ἀλλὰ ἐπιχώριός ἐστιν ἄλλος σφίσιν ἐς αὐτὸν λόγος, Δία ὑπνωμένον ἀφεῖναι σπέρμα ἐς γῆν, τὴν δὲ ἀνὰ χρόνον ἀνεῖναι δαίμονα διπλᾶ ἔχοντα αἰδοῖα, τὰ μὲν ἀνδρός, τὰ δὲ αὐτῶν γυναικός:

本当のところは人々はこれまでに述べた風にはアッティスのことを考えてはいない、その土地での彼についての言い伝えは以下のような別のものである。ゼウス神は眠っているときに自分の精子を大地に注ぎ、大地はしばらくのちに二重の性器を持つ神(ダイモーン)を生じさせた、それは男性器であり女性器でもあった。

ὄνομα δὲ Ἄγδιστιν αὐτῷ τίθενται. θεοὶ δὲ Ἄγδιστιν δείσαντες τὰ αἰδοῖά οἱ τὰ ἀνδρὸς ἀποκόπτουσιν.

名前をアグディスティスといった。しかし神々はアグディスティスを恐れ、その男性器を切り落とした。

古典ギリシア語には文法上の性が男性、女性、中性の3つありますがこのアグディスティスには男性(文中の αὐτῷ は男性与格単数、女性の場合であれば αὐτῇ となるはず)を当てているようです。現代ロマンス諸語でも男女入り混じった集団を男性複数で受けますが、両性具有を男性として受けるのも、これと同じ考えかもしれません。ただし両性が一柱に宿っているため、複数ではなく単数です。

δαίμων ダイモーンとは古代においては神(多神教の神々の中の一柱)と同義であったようですが、時代が下るにつれて神より下位の霊的存在を指すようになり、キリスト教の文脈では悪魔(デーモン)のように使われます。ここでは最初の意味での「一柱の神」としました。

アグディスティスは両性具有の神でありながら、他の神々に去勢されています。神々が δείσαντες「恐れた」と訳しましたが、他の版には δήσαντες「縛った」とするものがあるようです。どちらもアオリスト時制の能動分詞ですが、どちらであってもキュベレーが強制的に去勢されたことに変わりません。男性器と切り落とされた両性具有の神はこれで女神となります。

アッティスの誕生

ὡς δὲ ἀπ᾽ αὐτῶν ἀναφῦσα ἀμυγδαλῆ εἶχεν ὡραῖον τὸν καρπόν, θυγατέρα τοῦ Σαγγαρίου ποταμοῦ λαβεῖν φασι τοῦ καρποῦ: ἐσθεμένης δὲ ἐς τὸν κόλπον καρπὸς μὲν ἐκεῖνος ἦν αὐτίκα ἀφανής, αὐτὴ δὲ ἐκύει:

そしてその性器からアーモンドの木が生え、熟した実を宿した、河の精サンガリウスの娘が天啓を受けその実をもぎ取った。そして彼女はその実を自分の子宮に入れると、その実は姿を消した、そして彼女は身ごもっていた。

τεκούσης δὲ τράγος περιεῖπε τὸν παῖδα ἐκκείμενον.

そして彼女は男の子を出産したのち、その子は捨てられ、牡山羊がその世話をした。

切り落とされた男性器から何かが生じるというのは、ウラノスの男根に付いた泡から生まれたアフロディテを連想させます。しかしウラノスは男性の属性しか持たない神である一方でキュベレーは主に女性の属性を持っていることが大きく違う点です。

この語り口は淡々としすぎていて、娘が受けた天啓がどのようなものであったのか、どうして出産後捨てられたのかなどは説明がありません。もしかしたら文字として書かれることのない文化的な背景がかつて存在し、あえて当時は説明する必要がなかったのかもしれません。アーモンドについては社会人類学者のジェイムス・フレイザーが『金枝篇』 The Golden Boughの中で以下のように述べています。

Indeed in the Phrygian cosmogony an almond figured as the father of all things, perhaps because its delicate lilac blossom is one of the first heralds of the spring, appearing on the bare boughs before the leaves have opened. — The Golden Bough by James Frazer, Chapter 34 The Myth and Ritual of Attis —

実際のところプリュギアの宇宙論において、アーモンドは万物の父と考えられていた。おそらくその繊細な薄紫の花が、葉が開く前に裸の枝に現れる春の最初の前触れの一つだからである。

PikiWiki Israel 7023 Amond blossom.jpg
By באדיבות אתרצמח השדה, CC 表示 2.5, Link

男根、万物の父、アーモンドの種というのは一連の連想を誘うものであるという考察です。さて続きを読みます。

女神アグディスティスとアッティスの恋

ὡς δὲ αὐξανομένῳ κάλλους οἱ μετῆν πλέον ἢ κατὰ εἶδος ἀνθρώπου, ἐνταῦθα τοῦ παιδὸς ἔρως ἔσχεν Ἄγδιστιν.

そして彼が育つに従い、彼の容姿の美しさは人間を超えるものとなった。そこで、彼への恋心がアグディスティスを捉えた。

αὐξηθέντα δὲ Ἄττην ἀποστέλλουσιν ἐς Πεσσινοῦντα οἱ προσήκοντες συνοικήσοντα τοῦ βασιλέως θυγατρί:

アッティスが成人すると彼の親類(親の役を担っていた人々)は彼をペッシヌスへ送り出した、その土地の王の娘と結婚させる目論見のために。

彼は女神の子であるだけに、人目を引く姿に育っていったとのことです。ここで女神は彼との恋に落ちたのですが、自分の息子との認識はもっていたのか、いないのか、それとも通常の出産を通じての子供でないため、曖昧なままでも許容されるものなのか、文章からは読み取れません。しかし私はお互いに自分たちの由来を認識しあっての恋であると思います。このことは考察で詳しく述べます。

アッティスの去勢とアグディスティスの願い

ὑμέναιος δὲ ᾔδετο καὶ Ἄγδιστις ἐφίσταται καὶ τὰ αἰδοῖα ἀπέκοψε μανεὶς ὁ Ἄττης, ἀπέκοψε δὲ καὶ ὁ τὴν θυγατέρα αὐτῷ διδούς:

結婚の歌が歌われていた、そしてアグディスティスが姿を表すと、アッティスは狂乱して自らの性器を切り落とした、そして彼に娘を与えようとしていた者(ペッシヌスの王)まで同じように切り落としたのだった。

Ἄγδιστιν δὲ μετάνοια ἔσχεν οἷα Ἄττην ἔδρασε, καί οἱ παρὰ Διὸς εὕρετο μήτε σήπεσθαί τι Ἄττῃ τοῦ σώματος μήτε τήκεσθαι. τάδε μὲν ἐς Ἄττην τὰ γνωριμώτατα: — Pausanias, Description de la Grèce 7.17.10 – 13 —

しかしアグディスティスは自分がアッティスに為したことを後悔し、そしてゼウスによりアッティスの体が腐ることなく、また崩れることもないことを見出した。これらがアッティスについて最もよく知られていることである。

随分劇的な展開です。彼(と義理の父になる予定だった者)は自身の性器を切り落とすことにより命を落としたのかはここでは明言されていません。生きているのだとしたら、去勢による障害や壊死がおこらないことを願ったとも取れますが、その後アグディスティスとアッティスがどうなったかは語られていません。

別の言い伝えでは彼は松の木に生まれ変わったというものがあります。実際のところ葉を落とすことのない常緑樹は「腐りも崩れもしない」というイメージと重なります。

考察とまとめ

さて神話や伝説には普段語られることのない心理的な側面が観察されることがあります。性別に違和感を感じSRSという去勢をも含む対応を取った私から見て、これは去勢願望を持つ者を惹きつけるべく巧妙に作られた物語に思えます。

アッティスから見た父に相当するのはこのキュベレーから切り落とされた男性器に由来しています。アッティスは父性の関与がない生い立ちを持ちます。牡山羊に育てられたという逸話は父に変わる存在を排除する筋立てと言えるでしょう。

青年となったアッティスはキュベレーと関係を持ちますが、彼にとって孤児として育った自分の由来をこうして見つけたこととなります。一方、キュベレーにとってはかつて自分のものであった男性器の行き着いた先との再会とも言えます。キュベレーとアッティスの恋は一面では近親相姦ともとれますが、むしろ一度引き裂かれてしまった両性具有の持つ完全性の再現と言ったほうがよいでしょう。

このあたりはプラトンの『饗宴』に出てくるアリストファネスの挿話に似ています。あるミュージカル映画に、このアリストファネスの話を題材に作られた曲があるのを見つけたので貼っておきます。ざっくりとした流れは理解できると思います。

さて、このように再合一を果たした二人ですが、アッティスの結婚によりこれも終わりを告げます。アッティスは男性としての性を他者である女性との関係で確立することとなります。ただ親類の勧めによるものなのでアッティス本人がそれに前向きであったわけではなさそうです。このことはキュベレーにとって面白くないことだったのでしょう。アッティスと、義理の父となる予定の女神とは縁のない男性が狂乱することになるのもこの女神の力によるものです。

アッティスが結婚を望んでいなかったとするならば、狂乱のうちに自分で男性器を切り落としたのは「結婚の拒否」とも受け取れます。「結婚の拒否」は「男性の処女性の担保」と言えるでしょう。そしてこれを担保する確実な方法は去勢です。これで社会的に男性となることなく、男性として認められることもなく、万物の父であり女神でもある大いなる存在に帰依することができる、このような意味がキュベレーの信者にとって見いだされていたかもしれません。

また女神の「腐りも崩れもしない」という願いは、単に去勢による傷が悪化しないことだけでなく、長く生きられるということを指しているかもしれません。実際、中国の宦官(去勢した役人)は通常の男性よりも長寿であったことが知られています。このように生への希求から、自らの男性性を排除し、女性化する行動に一定の価値が見いだされていた可能性があります。

私にとって興味深いことに、私のようなトランスジェンダーMtFは、この伝説の中で容易に居場所を見つけることができます。私も一時、去勢か死かを選ぶような切迫した時期がありました。もし、その時期にこの伝説に触れていれば、少し気持ちが和らいだことでしょう。性別違和を感じていた古代の生物学的男性は私と同様にこの伝説に惹かれていたかもしれません。

もちろん神話や伝説は多義的に解釈されるべきですが、性的少数者(ここではトランスジェンダーMtF)が古代にも存在し、彼らに対する居場所がそこに存在していた可能性が、ここに見いだされないでしょうか。

このキュベレーの信者たちについての記述は他の原典に当たる必要がありますが、これはまた別の記事で書くようにします。

プリニウスの語る両性具有と性転換

Valete ! サクラです。

今回はプリニウスが『博物誌』で語った古代の両性具有と性転換について語ります。

大プリニウス Gaius Plinius Secundusは紀元1世紀ローマ帝政初期の軍人で『博物誌』Naturalis Historiaという37巻におよぶ百科全書のような著書を古典ラテン語で書き残しています。その第7巻には人間の生態に記述が当てられています。少ない記述ですが両性具有と性転換の記述を見つけましたので、今日はこれを紹介したいと思います。

両性具有について

ここで語られる両性具有とは現代で言うところのインターセクシュアルのことと考えられます。これについては簡易な記述のみがあります。

Gignuntur et utriusque sexus quos hermaphroditos vocamus, olim androgynos vocatos et in prodigiis habitos, nunc vero in deliciis. — Pline l’Ancien, Histoire naturelle, livre VII, III 34

また、ある者たちは両方の性の属性を持って生まれてくる、我々は彼らを hermaphroditusと呼ぶ、それはその昔 androgynus  と呼ばれ、予兆と受け入れられていた、しかしながら現在は余興に関するものとして扱われている。

hermaphroditus、androgynusはそれぞれギリシア語のἑρμαφρόδιτος、ἀνδρόγυνοςのローマ字転写です。ローマ字転写のときにはギリシア語男性名詞の語尾-οςは、ラテン語男性名詞の語尾 -usに機械的に変更されます。ただし、原文中の-osで終わる単語が日本語訳で-usに変更されているのは、ラテン語の格と数の変化を対角複数から主格単数に、変化形から原形に戻しているためです。英語で例えるならばthem「彼らを」をhe「彼は」に変換する操作と同じです。深みにはまりそうなので文法の説明はここまでにします。

hermaphroditusはヘルメスとアプロディテの間に生まれた息子の神話に由来します。一方、androgynusはἀνήρ「男」とγυνή「女」から作られた複合語です。hermaphroditusの神話についての詳細は以前の記事を参照してください。

サルマキスとヘルマフロディトス

ギリシア・ローマ世界での両性具有の呼称はandrogynusからhermaphroditusに移行していったことがわかります。

また以前はin prodigiis 「予兆において」のような神的なイメージを持たれていたものが、in deliciis「余興において」と、扱いが変わっています。deliciae(deliciisの原形)は「余興」「喜び」「愛するべき対象」など多様な意味を持っているので確定はできませんが、見世物となったり、権力者の性的な対象として扱われていた可能性があります。

古代ローマでは、権力者が女性奴隷だけでなく、去勢した男性奴隷に夜伽の相手をさせていたこともありました。主人が女性の場合、男性奴隷は主人を悦ばせながらも妊娠させないため、陰茎を残し睾丸のみ除去された、と言う記録もあります。古代社会において、奴隷はヒトではなくモノとして扱われていました。このようなことから、身分の低い両性具有者の扱いについても同様の想像は困難ではありません。このように、両性具有者に限らず、奴隷は過酷な人生を強いられたことでしょう。

人々は汎神的な世界観から脱し徐々に現実的な認識を持つようになり、それにつれて両性具有の神性も剥ぎ取られていった様子が伺えます。

性転換について

性転換の記述は両性具有の少しあとに置かれています。

Ex feminis mutari in mares non est fabulosum. invenimus in annalibus P. Licinio Crasso C. Cassio Longino coss. Casini puerum factum ex virgine sub parentibus iussuque haruspicum deportatum in insulam desertam.

女性から男性に変化することは、おとぎ話などではない。プブリウス・リキニウス・クラッススとガイウス・カッシウス・ロンギヌスが執政官だった年代(紀元前171年)に私達はそれを見出している。カシヌムの街の親元で少女から変化した少年は腸卜(犠牲獣の内臓による占い)の命ずるところにより孤島に島流しにされた。

あくまで推測ですが、これは性分化疾患の例ではないかと思われます。性分化疾患においては出生時の外性器の発達が定型でないため、性別判定が適切に行われないということがあります。例えば5α還元酵素欠損症の例では、プリニウスが語る内容とよく似た症状がみられます。

テストステロンをジヒドロテストステロンに変換するための5α還元酵素を欠くために、XY染色体を持つ個体が胎内で男性化せず女性型として生まれる。たいていは気付かれず女性として育てられるが、二次性徴では男性化する。頻度は不明だが、先進国ではごく稀とされている。先進国では手術及びホルモン治療を受けて女性として生きることを望む人が多いが、ドミニカ共和国での発生頻度の多い地域の部族では、文化的に男性にならなければならないとしているところがある。— wikipediaより

現代日本でもこの性分化疾患が原因で戸籍の性別が訂正されることがあります。これはGID特例法による性別変更とは異なる手続きで「そもそも出生時の届け出が誤りだったので訂正する」という扱いになります。

先を読んでみましょう。

Licinius Mucianus prodidit visum a se Argis Arescontem, cui nomen Arescusae fuisse, nupsisse etiam, mox barbam et virilitatem provenisse uxoremque duxisse;

リキニウス・ムキアヌスはアルゴスの街の Arescon アレスコンという男を彼自身が観察したと記録している、この男の以前の名は Arescusa アレスクサという女性名であり、このことから(女性として男性と)結婚した、しばらくして髭と男性的な属性が現れたのち、妻を娶ったとのことである。

一見、与太話のようにも思えますが、現代の結婚適齢期とされる年齢より古代のそれのほうがもっと若かったため、性分化疾患で女性と思われていた人が、結婚後に二次性徴を迎え男性化した可能性は否定できません。アレスクサの夫はさぞかしびっくりしたことでしょうし、アレスコンの妻は半信半疑だったでしょう。またアレスクサからアレスコンへの男性化に至る以前に、周囲の人はなにかしら疑念を抱いていたのではないでしょうか。

eiusdem sortis et Zmyrnae puerum a se visum.

また彼はスミュルナでも同じような現象の少年を見たとも記録している。

ipse in Africa vidi mutatum in marem nuptiarum die L. Consititum civem Thysdritanum,… — Pline l’Ancien, Histoire naturelle, livre VII, IV 36

私自身もアフリカの地において結婚当日に男性へと変化した者を見た、ルキウス・コンスティティウスという名前のトゥスドゥリトゥムの市民で〜(このあと数語欠損)

アレスコンに続く例も、同様に大人になるにつれ女性から男性に変化する例でした。ただ、このような性転換といえる現象を目の当たりにした人の反応は地域や文化によって異なっていたことがわかります。というのも、最初のカシヌムの街の例では性転換者が街から追放される一方で、アレスコンの例のように結婚やり直しまで許容する社会もあったのですから。

まとめ

『博物誌』には残念ながら私に起こっていたような性別違和の記述はなく、あくまでインターセクシュアルや性分化疾患と思われる例のみでした。しかしプリニウス以外の記述においては、女神キュベレーに帰依する男性信者が完全に去勢をし、女装をし、社会的にも女性として扱われたと言う記録があります。これらの帰依者たちの中にはもしかしたら、性別違和を持つMtFもいたかもしれません。ただ去勢の方法については現在のSRSのような精巧な外科技術は存在せず、その後のホルモン補充も行われないことから、去勢後は精神的に不安定になっていたと推測できます。

プリニウスや他の古代の著者の例をひくまでもなく、キリスト教の支配する後の中世の時代より、古代ギリシア・ローマ時代のほうが性的少数者に対しては許容度が高かったと思います。性的少数者は現代において初めて見いだされたのではなく、古代人の持っていた性に対する認識の再発見であるかもしれません。

意見と反論

こんにちはサクラです。

今日はこのブログ、または私に向けた意見と思われるものを拾い、コメントまたは反論します。

このブログも開始後1年以上経過して、それなりの人に見てもらっているようです。このブログを始めたのは、SRSを受けて一段落し、これまで私の出会ったような疑問や困難に今立ち向かっている人の参考にしてほしいと思ったためでした。

ブログの集計ツールを見ているとどこからこのブログにやってきたかわかるようになっています。たいていは検索エンジンなのですが、他のところから来られる場合もあります。ちょっと気になってエゴサーチをしたところ、このブログについての意見をいくつか見つけました。私の意見があるのと同様、それと異なる意見もあるわけです。今日はそれらを紹介しながら、私なりのコメントと反論をつけていきます。原文は好ましくない表現もあるので、引用は適宜修正を加えています。

どうして未成年の子がいる四十路オヤジに診断が出るのだろうか

私は40代のMtFトランスジェンダーで、生物学的性は男性で、戸籍上は二人の娘の父であり、その二人の娘は性同一性障害の診断時には未成年でした。ただ診断が出たときには私は30代なかばだったので「未成年の子がいる四十路オヤジに診断が出」たというのは「四十路」のところだけ誤りがあります。

診断はDSM(『精神障害の診断と統計マニュアル』)という診断分類に沿って精神科医が下したものですので、この方の疑問の回答を得るにはDSMについてよく理解した上で専門家に尋ねるのが良いと思います。すくなくとも「未成年の子がいる」とか「四十路オヤジ」であるから性同一性障害から除外するとは書かれていないと思いますし、そのような理由のため診断が出されるべきでないという合理的な説明が私には思いつきません。

もしかしたら「精神科医はトランスジェンダー治療の門番であって、倫理に反するような場合には、たとえ診断結果が明らかな場合であっても、これを否定し門を閉ざすべきだ」と考えられているのかもしれません。これはあくまで推測です。

未成年の子を持つ私が一人で育児をするにあたり、母の役割を負う事情がありました。経済的なことを除けば、小さい子供にとって父より母のほうが必要とされているからです。そして出産以外の母の役割を生物学的男性が担うことができないという根拠は私には思い当たりません。

娘たちは常に、私が女性化することに肯定的でした。のばした髪を切ろうとしたら止められ、外出時には常に母であることを求められました。2回の引っ越しの後、子供の保育園や学校には母親として出向くことになりました。ある保育園の園長先生と私は(私が父であることを打ち明けた上で)園児やその父兄に対しては母として振る舞うのが最善策であると決めたことがありました。私にとっては未成年の子がいるため、むしろトランスジェンダーの移行が早まったといえます。

子育てMtFと聖母マリア

年齢に関しても同様です。「四十路」というのは「トランスジェンダーとしては高年齢である」という意味でしょう。しかし年齢が若ければ診断を出してよい、年齢が高いのであれば診断を下すべきでないと言う根拠を私は挙げることができません。また診断と治療とは別な段階で、診断が下されたからといっても、性の移行を行うような治療は個別な事情により行われない可能性もあります。

もしかしたら、私のことを「性自認が男性で、家族の事情を無視し、性欲を満たすために女性化の幻想を抱く男性である」とこの方は考えているかもしれません。ただ診断に際してそのようなケースは除外されます。私は自分が女性として生活できることに非常に満足しています。

autogynaephiliaについて

また、性自認が女性である私のことを「オヤジ」と呼ぶことは、少し侮蔑的な印象を受けました。私が女性として社会生活を送ることに否定的な態度が表明され、私にはその資格がないといった低い評価が下されています。例えば「目の不自由な人」「体の不自由な人」という表現には、これらとは別の呼称が以前存在し、差別的・侮蔑的に使われていました。私に向けられた「オヤジ」という言葉は、これと同じ響きを持っています。このブログへのリンクと合わせてコメントをされる場合、そのリンクを辿って私が目にする可能性があります。可能であれば、お使いの言葉に配慮を願いいたします。

さて別な意見を見てみましょう。こちらも文体と言葉を変えてあります。

生殖器の改造を「性別を反転できる魔法」と思ってる人は現在もいるのだろうか

解釈の仕方によって、どうとでも取れる文章なので注意が必要です。「過去にはいた」と言っているようですので、もしかしたらジョン・マネーのことを指しているかもしれません。「外性器を変えれば性自認も性志向も魔法のように変えることができる」という意味でしたら、私もそれは確かとは思いません。「生殖器の改造」、つまりSRSはあくまで性自認の安定したトランスジェンダーが、自分の望む性で暮らすために取られる措置であるだけです。

一方私にとってのSRSはある意味では魔法であったとも言えます。診断を受け、ホルモン療法も続け、体が女性化し、日常的に女性として暮らす時間が長くなっていっても、できないことはたくさんありました。それは主に温泉とプールです。私は手術に至る10年近く公衆浴場にもプールにも、着替えが必要となりそうな活動を一切避け続け、低いQOL(生活の質)に甘んじなければいけませんでした。SRSによってこれらの障害が取り除かれた結果、QOLは著しく改善しました。この意味で私は「魔法」と読んでも差し支えないと思っています。

憧れの露天風呂

登山と温泉

プールのこと水着のこと

あと一点「反転」という言葉は性の二分法に従った表現だと思います。世の中男性と女性のどちらかしかいないと言う考え方には異論があるのですが、それはそれで長くなりそうなので指摘するにとどめておきます。

次の意見を見てみましょう。

性自認を固定して身体を改造するより、脳内の性自認を書き替えるほうが、将来容易になったりしないだろうか?

「将来」の話なので、真偽はつけられません。しかし「脳内の性自認を書き換える」ことの方を優先する合理的な説明が私には思いつきませんでした。これは、性別に違和感を持った人が、その違和感を否定するような世の常識に自らの認識を強制的に合わせる試みと同じものだと言えます。このことを説明するのはなかなか難しいのですが、「せっかく対処できる措置があるのにこれを行わない」ということは、以下のような言い換えと同等だと言えます。

  • 近眼の人が「見えるようになりたい」という考えを「近眼であるのが自分だ」という考えに書き換え、視力矯正を行わず視力に不自由な生活を営む
  • 虫歯の人が「健康な歯を持ちたい」という考えを「歯が悪いのは自分には自然なことだ」という考えに書き換えて、歯の治療を行わず悪化させるまかせる
  • コレステロールの高い人が「健康でありたい」という考えを「コレステロールが高いことは自分にとって自然だ」という考えに書き換えて、投薬を行わず病気のリスクの高める

近眼であっても、虫歯であっても、動脈硬化が進んでも、「そのような状態に自分がいるのは自然である」という認識に達しているのであれば、同情や援助は必要がないということです。ただ私なら、その状況に甘んじたりせず、眼科や歯科や内科に行き、できる限りの対処をすることでしょう。

知られている限り有史以来、人間は体の改造を行い続けてきた種族です。二本足で歩行し、火を使い、近視を矯正し、虫歯を治し、病的な体質を改善させる。現代の人は通信記憶端末を利用し、記憶の拡張や遠隔地の人との交流を行いますが、このような機器は将来的に体に埋め込まれるかもしれません。これらは生活の質を高めるために人々が行ってきたことです。このなかに「体の性を投薬や手術により性自認に合わせる」ということを含めても特に違和感がないと思えます。

いかがでしょうか。最初にお話したように、私のブログは、現に性の問題に直面している方の参考になることを目的としています。そういった方々が一見正しいように思えるこれらの意見に惑わされないように、私からコメントと反論を書きました。というのも、「惨めな生活から抜け出す権利が人にはある」と私は思うからです。

より豊かな土地での生活に移り住む人々がいることが自然なのと同様に、より実りと恵みのある性に移行する人々がいることもまた自然なことと言えます。そしてその性について私達は多くのことを知らないままでいると思います。

クマノミと私

LGBTのTについて

人工子宮と女性の解放

 

ブレンダと呼ばれた少年

アニマとアニムス

両性具有と恵み