子育てMtFと聖母マリア

こんにちは、サクラです。

私がワンオペで子育てする状況になったのは、上の娘が4歳、下の娘が生後6ヶ月の頃です。当時の妻の状況についての詳細は省略しますが、私にはまだ性の違和感について顕著な症状が出ていませんでした。つまり普通に男性として暮らせていたと自分では思っています。

下の娘がまだ離乳していなかったため、粉ミルクで育てました。男性だった私は当然お乳は出なかったわけですが、出たら便利だなと思ったことは覚えています。粉ミルクの準備は量を測ってお湯の温度を調節してと結構面倒なものですから、身体の前面に完璧な授乳セットが設置されている母親というものは有利だなとつくづく思いました。

赤ちゃんは顎の力が弱いので哺乳瓶を加えさせるときに顎にも手を添えて固定してあげると、飲みやすくなることも発見しました。この方法でミルクの時間を大幅に短縮できました。外にでかける時にはミルクだけ入れた哺乳瓶とお湯の入ったポットを持っていきました。もう今では懐かしさしかありません。

当時上の娘を通わせていた保育園はもとミッション系の幼稚園だったところで女尊男卑が激しく、「子育ては男にはできない」という思想を打ち出していました。保育園のイベントで親に協力が求められることがありますが、保育園内の手伝いは母親と祖母など女性の保護者のみで、父親は園の前の交通整理と決まっていました。なのでワンオペ男性の私の場合、「園内で手伝える女の保護者を連れてこい」と言われ続けました。残念ながらそんな人物はいない、といっても「男に子育てはできないことは火を見るより明らか」と園長先生からも言われ、これは駄目だと保育園を変えることにしました。

一応弁護しておきたいのですが、園長先生は年配の女性カトリック信者で、頑なな男女観の部分を除けば、話のしやすい良い先生でした。当時流行っていた『ダヴィンチ・コード』についてはそのオチがあまり先生のお気に召していないようでした。映画にもなったその小説で、マグダラのマリアがイエスの妻で受難のイエスの子供を妊娠していた、などというカトリックの教義からかなり逸脱した展開がたしかにありました。

カトリックの権威者が男性ばかりなのは初期教会、おそらくパウロからの男尊女卑の伝統でしょう。その裏返しで子育てのような女性が主導権を持つ世界では女尊男卑となるようです。カトリックの権威から閉め出された女性に対する栄光は聖母マリアに集約されます。

保育園の中庭には台座をあわせて高さ二メートルほどの聖母マリアの像がありました。ルルドの泉の瓶詰めの水がその台座にお供えされていました。ルルドの泉は19世紀に聖母マリアが出現したとされるフランスにある奇跡の泉です。

上の娘は保育園で教わった通り、行き帰りに「マリア様にお祈りする」といって像の前で手を合わせていました。ここの保育園の人たちが私に発したメッセージは、結局「男は聖母マリアにはなれない」ということでした。宗教上の教義、ドグマと呼んでいいかもしれません。

でも「聖」がつくかどうかは別として当時のわたしは「母」にならざるを得ない状況にいました。わたしも何度か娘の隣でマリア像に祈ったこともありました。なんとなく行った当時の祈りを言語化するとしたらこんな感じだったでしょう。

マリア様、娘たちが健やかに育つように私を彼女たちの母親にしてください

結局は別の保育園に変えましたが、今から考えるとマリア様に私の願いは届いたかも知れません。私はカトリックではありませんが、もし「様々な超自然的な存在の導きがあって今の自分がいる」とか「祈るものには奇跡がおこる」と言われたら、私は否定はしません。

AVE MARIA GRATIA PLENA — めでたし、聖寵充満てるマリア —

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