こんにちは、サクラです。
今日は幼い頃私の父から語られた私の出生の秘密についてお話します。
父は旧帝大卒の外科医でした。地方の公立病院の院長も勤め、その土地では名士だったようです。父が生きている間の実家は裕福でしたが、私が18のときに他界してから、バブルが弾けたこともあり、家はそれほど豊かではなくなってしまいました。
18歳というと大人にもなりきれていない年齢で、私が父と対等な大人の関係となることは結局のところありませんでした。このため、父はいつまでも私の中で大きな超えられない存在であり続けたわけです。今年父の年齢を越えたことで、私にとってエポックを画したことになります。
幼少期の私は、周囲の大人が父に恭しく接しているのを常に目にしていました。伝え聞く限り、外科医としての腕がよかったのです。それでも尊大にはならず私と弟には常に優しく接してくれました。そのような父に私は畏敬と親愛の念を抱く一方で、なんとも隠微な恐怖も抱いていました。というのも父は私に次のようなことをしばしば語って聞かせたからです。
お前は女で生まれたのだが、跡継ぎの長男が欲しかったので外科手術を施して男に性転換した。
手術は成功しているが、成長につれて微妙に手入れをしなければいけないので、ときどき夜中に眠らせて再手術をすることもある。
手術は今の所、成功している。
私は小学校低学年で、その年なりの性についての知識は備えていました。性別をそんなに簡単に変更できないと理解していました。おそらくそのような子供の知識を凌駕するためにこのような詳細な設定を父は考え出したのだと思っています。
しかし、なぜだか今でも不明ですが、他界するまで私が嘘ではないかといくら問いただしても、一度もこれらの言葉が嘘であることを父は認めませんでした。
このような言葉が性自認の定まらない年少者にあたえる影響を当時はあまり考慮されていませんでした。ユニークと認められることはあっても批難されることではなかったのです。『南総里見八犬伝』の登場人物の一人、犬塚信乃は幼少のときには女装させられ育てられたそうです。むしろ大物を育てるのであればこうした精神的負荷をかけるのもよいこととさえ世間では考えられていました。
昭和時代は後期になっても先の大戦を経験した人が多く生きていた時代で、「五体満足で衣食住が満ち足りていればそれで十分」と考える人が多かったと思います。メンタルケアは今のように重要視されていませんでしたし、精神科に通ってるなどというと気のおかしな人、社会復帰不可能な人と理解されていました。子供が精神的なダメージを受けたとしても、衣食住が満たされている限り、それほど問題視されることはありませんでした。
そのようなわけで父は、極めて親密な態度で私の性自認を脅かし続けていました。周囲の大人が「君のお父さんは腕のいいお医者さんだね」などと私にいうとき、私は恐怖を感じました。というのもそれは父の言動の真実性を担保する言葉に思えたからです。
私は自分が男なのか、男の体に手術で変えられた女なのか、大変悩みました。今と違い、ネットもない世界ではこのようなマイナーな情報にアクセスする手段は限られていました。
小学4年のとき、体育の着替えで(私のいた小学校では男女同じ部屋で着替えていました)、同級生の女子の一人の胸が大きくなっているのに気付きました。おそらくBカップ以上Cカップ未満くらいはあったでしょう。それを見たときの恐怖を私は今でも忘れません。自分もああなってしまうのか、それともそうならないのか、先のことがわからない恐怖です。そして、もし私の胸が大きくなったとしたら父に男性型の胸に戻されるという秘密の謎手術が行われるかもしれないという懸念もありました。
また自分の男性器が他の男の子と同じようであるかも大変気になりました。幸い男の子の多くは開けっぴろげに陰茎をみせることがあったので、観察する機会には事欠きませんでした。ただ、手にとってまじまじ見ることもできないため、本当に自分の男性器が自然発生であるか確信がもてませんでした。陰嚢の中央に走る筋が手術跡のように見えて大変恐ろしかったのを覚えています。
こんなことが続いたある日、私は耐えきれず一人家族のいないコタツの中に入り込んでこう叫びました。
私は女だ。もとの体に戻してくれ。
男でいながらこんな不安定な性自認を抱えるくらいなら、いっそのこと父の言うところの「本来の性」に戻るのが楽だと気付いたのです。
こうしたことは学業や学生生活にも響きました。なんとなく変で、なんとなく周囲とソリがあわず、なんとなくやる気がしない。父には医者になったらどうかと散々言われましたが、人生そのものにあまり興味を持てず、その日その日の興味と必要で動くにすぎず、将来のことなど到底考えることができませんでした。
後に父は他界して、私の性自認は、結婚しても、子供ができても不安定なままでした。子供ができたら、流石に父の発言は嘘だと確信できるはずと思っていました。反対性の生殖機能をもたせる性転換手術は存在しないからです。
しかし、もしかしたら「現代の他の医者にはできない高度な性転換の技術を父が持っていた」だけかもしれないのです。父は自分が宇宙からきた異星人だともよく話していました。もちろんこれも死ぬまで嘘であるとは一度も認めていません。もし宇宙人だったらそのような特殊な技術があっても不思議はありません。父のいなくなった世界で私はどこまでも確信を持てない性自認を抱えて生きていかなければなりませんでした。
自分の揺れる性自認に自分の人生における失敗すべてを帰すことはできないにしても、ある程度は関係しているでしょう。女性との交際は、結婚生活も含め、良好な期間は長く続かないことばかりでした。
こうして、生来の知能は低くないものの、その能力を発揮することができない、一人の残念な中年の男性が育ったわけです。もし私が女として生まれ、謎の手術もなく、父の発言を聞くことがなければ、もしかしたら父の跡をついで医者になっていた気がします。余計な手術さえしなければ父の「跡継ぎがほしい」という願いはかなったはずです。
「何かがおかしい」という感覚はついに払拭できず、私はジェンダークリニックに通うようになりました。
去年のSRSを受ける時点で父がもし存命だったら、私は父にSRSの手術をしてもらうため、こう言っていたでしょう。
あなたの医術で、私を本来あるべき女に戻してください。私を男に変えたのと同じように、もとの女に戻すのはあなたにとって簡単なことでしょう。
私の性自認が女に固定した状況を見れば、父は渋々引き受けたことでしょう。私には本当に優しい父でしたから。
ギリシャ神話のアキレスが幼時に女の子の中に紛れ込ませて育てられていたという話があったり、昭和天皇の幼年時代には、男の子も四歳ぐらいまでは女の子と同じ服を着させられるのが上流階級ではあたりまえだったり、世界にはいろんな「とりかへばや物語」のような文化がありましたが、昭和も後期の時代に、わざわざわが子にそのようなことを大真面目に吹き込みつつ育てるというのは、かなり変わっていますね。
もっとも、わたしは、そういう特殊な育てられ方をしたことが、今現在のSacraさんの性自認を形成する一因になったとは思いませんが(その種の「環境起因説」は、1970年代~80年代ごろ、ジョン・マネーの影響で、とりわけフェミニストのあいだで流行っていましたが)。
Akemiさん
コメントありがとうございます。ジョン・マネーのブレンダに対する実験は、的外れで危険なものであったと思います。
だからこそ、余計に、私にとって「地球外の異星人である父が、生物学的女性として生まれた私に、男性化の性転換手術をした」という父の言説が(荒唐無稽とはいえ)真実味を帯びてしまうのです。
https://tokiensis.com/sacra/as-nature-made-him/