SRSから34ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

しばらく間が空いたので、アップデートをしたいと思います。

今の職場ではリモートワークが一般化されましたが、それでも私は週2日ほど出社しています。以前お話したように職場では女性として扱われているので、ヒールにスカートで出勤しています。ジャケットなしのスーツルックと言ったところでしょうか。4月から新しく人が来ましたが、特に私の性については説明していません。もしかしたら、他の方がこれを説明しているかもしれませんが、特に話題にも出ることはありません。一般に(少なくとも日本の)仕事の場では性の取り扱いは保守的であり表面的でもあり、違和感がない限りあまり深く掘り下げることはないようです。

以前の私であれば、相手が私の性についてどう認識しているかとても気になっていましたが、今は全く気になりません。私のことを女性と思っていればそれでよし、あるいはトランスジェンダーと思われていたとしても、トランスジェンダーについての深い知識を持ち合わせているケースはまれですし、私の現状に変更がない以上気にする必要がありません。シスジェンダーの多くが、自身の性が他人にどう思われているかについて意識さえしないことを考えると、私もそれに近づいているといえるでしょう。

先日、新しく職場に来た人に対する、歓迎会がオフィスで簡易に行われました。リモートワークのため歓迎する側の参加者が集まらず、企画した女性に「参加者が少なく、男性ばかりなのでサクラにも参加してほしい」と誘いがありました。別に男性ばかりでも良いのではと思いましたが、女性として見込まれたのは光栄なことに感じたので参加しました。実際参加してみると、女性がこのような場を和ませたり華やかにさせたりさせる役割は確かにあるのだなと思いました。その役割が私に対して期待されているのであれば、それに答えるのはやぶさかではありません。

職場の女性たちとは恋愛話もしますが、ほぼすべての場合異性愛がテーマとなります。恋愛対象として男性を想定している私は、特に困ることはありません。過去に男性として男性を好きになったこともあるので、女性として女性を好きになることがあったとしても不思議はないと思っているものの、ここでの異性愛主体の恋愛話を特に乱そうという気にはなりません。

私のようなヘテロセクシャルなトランスジェンダーは、一度自認する性が認められさえすれば、保守的な世界で容易に生きていける気がします。以前よりトランスジェンダーに対して世の中が寛容になってきていることもあるでしょう。なんとなく「ぴったりはまった」感覚を私は感じています。

SRSから30ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

あまり更新できずに時間が経過してしまっていますが、SRSから30ヶ月経過後の近況についてお話しようと思います。

実際のところ更新がされなかったのも、私に対する性に関連したイベントがあまり発生せず、記事にできるようなことがなかったためでした。Covid-19感染症のために、外出したり人と会ったりする機会が減ったというのも原因の一つと思われますが、自分のあり方について疑いを持たなくなったことがより大きな原因といえます。

学校の課題で(ヘブライイズムにもクリスティアニズムにも批判的な)帝政ローマの歴史家タキトゥスの以下のラテン語の一文を訳していたときに、ふと気づいたことがあります。

Dum Assyrios penes Medosque et Persas Oriens fuit, despectissima pars servientium : postquam Macedones praepolluere, rex Antiochus demere superstitionem et mores Graecorum dare adnisus, quominus taeterrimam gentem in melius mutaret Parthico bello prohibitus est.

オリエントの地がアッシリア人、メディナ人そしてペルシア人の支配下にある間、(ユダヤ人は)奴隷たちの中でも一番蔑まれたものであった。マケドニア人がその支配を確立した後、王アンティオコスは彼らの迷信を取り去りギリシアの風習を導入しようと努力をしたものの、パルティアとの戦争のためにこの見下げ果てた民をより良きものにすることを阻まれたのだった。

文中の王アンティオコス、つまりセレウコス朝シリアのアンティオコス4世は今から2200年ほど前、支配下にあったユダヤ人のギリシア化(ヘレニズム文化への同化政策)を画策した人物です。これにもし彼が成功していたなら、ユダヤ教は途絶え、これを基盤として興るはずのキリスト教も現れるはずもなく、私たちが街で耳にするクリスマス音楽の数々も聞けなかったかもしれません。

歴史はあとから見ると必然的で確定された出来事の連続のように思えますが、その時々ではとてもデリケートな事件の偶発的な積み重ねのようにも見えます。例えばCovid-19の騒動も現在の私達の目には不確定に見え、将来に不安をいだき、突発的な事象に対して右往左往してしまいがちですが、遠い未来からこれを振り返るのであれば必然の連続に見えるのではないでしょうか?

私がSRSによって身体に変更を加えてから早くも30ヶ月が経ち、私はこれを現在進行中の事象というよりは歴史的に確定した事象と捉えるようになっています。アンティオコス4世がユダヤの同化政策に失敗したことも、キリスト教が興り世界を席巻したことも、私の外性器が女性の形をとったことも、すべて歴史的に確定されたことと私には思えるのです。

生物学的男性でありながら女性として生活する私に向けられた様々な疑念は、現在の私にとっては蒙昧な絵空事のように思えます。人々に自然と受け入れられているクリスマスに対して、アンティオコス4世がパルティアとの戦争にではなくユダヤ人対策に力を入れてさえいれば存在しなかった虚偽の風習だ、などと疑念を投げかける人がこの現代社会にどれだけいるのでしょうか?私に対する疑念もこれと同様のものに思えるわけです。

SRSから28ヶ月経過

こんにちは、サクラです。

SRSから2年と少し経ちました。今回は多少の心境の変化などをお伝えします。

最近の私には一つどうしても確認したいことがありました。それは世のヘテロセクシャルの男性にとっての私が、女性として、言い換えると性の対象として見られるのかということです。

過去の記事を見ればわかるように私は術後にまず、女性として女性たちの中で暮らせることを当面の目標としてきました。公衆浴場やプールなど裸になるような場面も含め女性として違和感なく暮らせるということでこの計画はほぼ達成出来たと言えるでしょう。

このように女性の中での私の立ち位置が確立していく中で、女性と接するときには自然と振る舞えるようになっていきました。一方で男性に対してはどう接してよいかわからないままでした。というのも、自分が相手にどう見られるかを俯瞰できるようにならないと、うまく関係を気づくのは難しいと思うからです。

「よく言われるのだけれど私は…」とか「こう見えても私は…」という話ができる人はこのようなことができた上で相手の気持ちに寄り添うことができるわけです。

さて詳細は省きますが、私はあるヘテロセクシャルの男性と関係を持ちました。彼が私を性的対象と見ているかを確かめたかったからです。行為のあとで私はそれとなく「私の体をみて興奮するか」と彼に聞いてみました。彼はニッコリして私の手をとって彼の固くなったものを触らせました。

もうこのへんで良いでしょう。とにかく少なくとも一人は確実に、そしておそらく世の中のある割合の男性が私を女性と認めうることを確信したわけです。

しばらくすると、ふとある感情が頭に浮かんできているのに気づきました。それは自分がトランスジェンダーであることが周囲に知られても構わないという感情です。今まであれだけ女性という性と同一化していたい、トランスジェンダーと疑われず女性と思われていたいと思っていたのに、なぜこのような気持ちになるのか、不思議に思いました。

どうやらこの感情は、自分が女性から同性として認識され男性から異性として認識されることを確信して初めて成立するもののようです。というのも、社会生活において性別が不確定であるということは社会生活上の危険を伴うからです。トイレの問題から始まり、不当な差別や嫌がらせを受けることだってありえます。そのような危険を感じなくなれば、トランスジェンダーであることに対してニュートラルな気持ちを抱くことができます。

このように現状を優先して自分を認めることができるようになったのは、SRSの副次的な効能、もしかしたら主な効能とさえ言えます。

もちろん、他の多くの人にこのことがあてはまるかと言われると正直わかりません。しかし少なくとも移行後の自分に対するアセスメントはどのような結果を見出そうとも行っておいて損はないと思います。

マイナンバーカードについて

こんにちは、サクラです。

今回はマイナンバーカードについてお話します。

マイナンバーカードはCovid-19に関連した給付金の申請で注目されるようになりました。通常は郵送で申請するところが、マイナンバーカードがあればオンラインで簡易に申請をすることができたからです。郵送で申請した私ですが、この先持っていたほうがよいかと思いこのカードを取得しました。

ただ、とりあえず取得しただけで、私は最低限でしかそれを使わないと思います。なぜかと言うとマイナンバーカードには性別欄があり、私のマイナンバーカードには「性別 男」と表記されているからです。私にとっては身分証明に過去の性別(と自分が信じている性別)が謳われているのは極めて煩わしいことです。

通常、身分証明書を提示が必要なほとんどの場合、私は運転免許証を使っています。運転免許証には「性別欄」がありません。名前も女性名に変更して写真もそれっぽければ、性別について詮索されることはありません。

 

マイナンバーカードの有効期限は10年だそうです。その有効期限内、およそ2年後に私は性別を変更するつもりです。このことが気になり、役所の職員に「もし性別が変更されたらカードは再作成するのか?」と聞きました。すると「再作成せず、記載事項の変更で対応する」との答えをもらいました。つまり 性別の欄の男の文字が打ち消し線で消されたのち、写真横の空欄に「変更後の性別が女である」旨が追記されるのだそうです。

おそらく住所変更と同じ取扱なのでしょう。しかし、性別を変更したことが明らかにわかり、これにより周囲から好奇の目でみられることになるだろう身分証明書を誰が喜んで持ち歩くとういのでしょうか? 職員の方に「自分の特殊な生い立ちを不特定多数の人に知られるのは大変都合が悪い」というと、その方は理解したようで「個人都合での再発行が可能」と教えてくれました。ただし手数料が必要ですが。

私の性移行は反対岸が遠く見えないような大河を渡る長い船旅のようなものです。そしてその旅は、もうすぐ終わるわけですから、静かに接岸する船のように変な文句は言わずにカードの再発行をしようと思います。

大事なのは旅それ自体ではでなく、反対岸での生活なのですから。

 

スキタイの「女性病」について

こんにちは、サクラです。

今回は男子のかかる「女性病」という古代の病気と、それにまつわる特殊な能力についてお話します。

紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスは自著『歴史』の中でスキタイのエナレスという不思議な人々について語っています。スキタイは黒海の北岸(現在のウクライナ周辺)に存在したとされる古代の遊牧民族国家です。エナレス Ἐναρέης とは「女性病」にかかったスキタイ人男子の集団を指し、予知能力を持っていたとされています。

エナレスの起源には以下のような顛末があったとされています。スキタイの戦士たちがエジプト遠征に行った帰りのことです。

Οἳ δὲ ἐπείτε ἀναχωρέοντες ὀπίσω ἐγένοντο τῆς Συρίης ἐν Ἀσκάλωνι πόλι, τῶν πλεόνων Σκυθέων παρεξελθόντων ἀσινέων, ὀλίγοι τινὲς αὐτῶν ὑπολειφθέντες ἐσύλησαν τῆς οὐρανίης Ἀφροδίτης τὸ ἱρόν.

そして帰途につく彼らがシリアのアスカロンという街についたとき、多くのスキタイ人たちが害を加えることなくそこを通り過ぎた一方で、彼らのうちの少数の者たちがその地に残り天空の女神の神殿に対して略奪を行った。

この女神は原文ではアプロディーテーとしていますが、あくまでギリシア人向けの文脈であって、実際にはオリエントで広く崇拝されていた女神を指しているようです。英語版の翻訳者ゴドリーの注釈によるとアッシリアではミリッタ、フェニキアではアスタルテと呼ばれていました。

Ἔστι δὲ τοῦτο τὸ ἱρόν, ὡς ἐγὼ πυνθανόμενος εὑρίσκω, πάντων ἀρχαιότατον ἱρῶν ὅσα ταύτης τῆς θεοῦ: καὶ γὰρ τὸ ἐν Κύπρῳ ἱρὸν ἐνθεῦτεν ἐγένετο, ὡς αὐτοὶ Κύπριοι λέγουσι, καὶ τὸ ἐν Κυθήροισι Φοίνικές εἰσὶ οἱ ἱδρυσάμενοι ἐκ ταύτης τῆς Συρίης ἐόντες.

この神殿は、私が調べ明らかにしたところによると、この女神を祀る多くの神殿の中で最古のものである。というのもキプロスの神殿はキプロス人自身が言うようにここから分祀したものであり、キティラに神殿を祀った者たちは同じシリアが出自のフェニキア人であるからだ。

キプロスもキティラも東地中海にある島で、ギリシア人が身近に感じる地名です。これらの島にある神殿の由来がアスカロンの神殿であるということでこれに権威を与えています。

τοῖσι δὲ τῶν Σκυθέων συλήσασι τὸ ἱρὸν τὸ ἐν Ἀσκάλωνι καὶ τοῖσι τούτων αἰεὶ ἐκγόνοισι ἐνέσκηψε ὁ θεὸς θήλεαν νοῦσον: ὥστε ἅμα λέγουσί τε οἱ Σκύθαι διὰ τοῦτο σφέας νοσέειν, καὶ ὁρᾶν παρ᾽ ἑωυτοῖσι τοὺς ἀπικνεομένους ἐς τὴν Σκυθικὴν χώρην ὡς διακέαται τοὺς καλέουσι Ἐνάρεας οἱ Σκύθαι.

しかし、スキタイ人のうちでアスカロンの神殿を略奪したものに対して、そして彼らの末代の子孫に対しても、神は女性病を放った。これに従いスキタイ人たちは以下のことを語っている、この出来事により時を同じくして自分たちがこの病気を患っていることを、そしてスキタイの土地に訪れるものはエナレスと呼ばれるその者たちの症状を彼らの中に見いだすであろうことを。

— Hérodote, Histoires, Livre I 105 —

女性病とはθήλεια「女に関する」 νοῦσος「病気」の二語からなる熟語でその詳細は語られず、ただスキタイの土地に来ればそれを見ることができると伝えられるのみです。女性病は「男性性の喪失」、好戦的な騎馬民族の文脈において「戦闘能力の喪失」という意味ではないかと思われますが、「来ればわかる」的な言い方はそれ以上の形容しがたい何かがあるのではと想像を掻き立てられます。

女性病を発生させた神は ὁ θεὸς と男性形で記述されていますが、これがどの男神を意味しているのか、あるいは女神を一般的な男性名詞で表現しただけなのか、その意図はわかりません。ゴドリーの英訳ではgoddess 「女神」と意訳を行っています。文脈から考えたら神殿の略奪者に対する復讐はその祀られている天空の女神自身が行うのが無理がない理解だからでしょう。 また、この天空の女神が小アジアのキュベレーのように両性具有的な性質を備えるののであれば、両性具有を男性形で表現するのも可能でしょう。

エナレスの語源についてゴドリーは由来が不明であるとしています。調べると、Ἐναρέηςという単語は-ηςという語尾をもつギリシア語の第三変化名詞であり、その語尾-ηςを取り除いた単語としてἔναρα「戦利品」という中性複数の単語が見つかります。「略奪で得た戦利品に関係する者たち」というのがエナレスの語源ではないかと私は思うのです。というのも彼らは女性病によって戦闘力を失った一方で他の能力を得ていたことをヘロドトスは同じ書の別の箇所に記しています。

Μάντιες δὲ Σκυθέων εἰσὶ πολλοί, οἳ μαντεύονται ῥάβδοισι ἰτεΐνῃσι πολλῇσι ὧδε: ἐπεὰν φακέλους ῥάβδων μεγάλους ἐνείκωνται, θέντες χαμαὶ διεξειλίσσουσι αὐτούς, καὶ ἐπὶ μίαν ἑκάστην ῥάβδον τιθέντες θεσπίζουσι, ἅμα τε λέγοντες ταῦτα συνειλέουσι τὰς ῥάβδους ὀπίσω καὶ αὖτις κατὰ μίαν συντιθεῖσι. Αὕτη μὲν σφι ἡ μαντικὴ πατρωίη ἐστί.

スキタイ人の中には多くの占い師がいる、彼らは以下のように多数の柳の枝を使って占いをする。彼らはいつでも多くの枝の束を持ち歩き、それを地面に置いて束を解く。そしてその枝を一つづつ置きながら未来を述べる。そして話をしながら枝を集め、再び一箇所に置く。この占いの方法は先祖代々彼らに伝わるものである。

Οἱ δὲ Ἐνάρεες οἱ ἀνδρόγυνοι τὴν Ἀφροδίτην σφίσι λέγουσι μαντικὴν δοῦναι: ἐπεὰν τὴν φιλύρην τρίχα σχίσῃ, διαπλέκων ἐν τοῖσι δακτύλοισι τοῖσι ἑωυτοῦ καὶ διαλύων χρᾷ.

また、両性具有であるエナレスたちは女神が彼らに占いの技術を与えたと言う。彼らはライムの樹皮を使って占いをする。彼らはライムの樹皮を3つに切り分け、それを指で編んだり解いたりして神託を呼び起こす。

— Hérodote, Histoires, Livre IV 67 —

エナレスはἀνδρόγυνοι「両性具有」であるとここでは述べられています。ただ生物学的な両性具有者が集団を形成するほど多く存在していたと解釈するには無理があるでしょう。むしろ彼らは生物学的には男性でありながら、スキタイの社会の中で「女性性を有する男性」「両性を備える者」というジェンダーの取り扱いを受け、占い師という社会的役割を与えられていたと考えられます。

またこの能力を与えたのは原文では略奪された神殿で祀られていた女神、ギリシア人の言うところのアプロディーテーであることから、男性的な能力を奪うだけでなく、それに代わる女性的な能力を与えたと解釈出来ないでしょうか。女性病という病は戦闘能力と引き換えに未来予知の能力を彼らに与えたのです。

もちろんここでいう男性的・女性的というのは古代の文脈での話で、ジェンダーフリーの嵐が吹き荒れる現代の私達の感覚と異なることでしょう。トランスジェンダー的な文脈で読み返してみると、この時代に性的違和を自覚したスキタイ人MtFは女神の助けをかり、エナレスと呼ばれるトランスジェンダー的な生き方をしていたとも解釈できます。

以前の記事に書いたキュベレー信仰とも通じるものがここにも見いだせると思います。

女神キュベレーとアッティスの去勢

ラテン詩人の記述するキュベレー信仰